白血病との闘いを続けてきた京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から基本は1節ずつ抜き書きして、自分のメモを記すシリーズ、番外編その4です。




山口雄也さん、ついに力尽きる

 ご友人・山本周雅さんのツイートによれば、山口さんは残念ながら他界され、昨日6月8日に告別式が営まれたようです(山本さん、ツイートでお知らせいただき、ありがとうございます)。
 ご冥福を心よりお祈りするとともに、ご家族のお心の平安を祈ります。
 5年にわたった闘病、ご家族の皆様は覚悟されてはいたことと拝察します。
 しかしながらご家族のお気持ち、特に、若年の我が子を見送り葬儀を営む巡り合わせとなったご両親のお気持ちは、想像を絶します。

山口さんに贈るものは拍手しかない

 山口さんが他界された報に接して思い浮かんだのは、テオ・アンゲロプロス監督の映画「旅芸人の記録」の一シーンです。物語終盤近く、旅芸人一座の若手俳優だった女主人公の弟は、数年にわたるパルチザン運動の末に政治犯として処刑され、血縁者と仲間たち、旅芸人一座の見守る中で埋葬されます。その時、一同は拍手を贈るのでした。

 山口さんに関しては、どういう結果になっても、頑張りを称えることしかできないと思っていました。
 今、山口さんが力尽きて命尽きるという結果を迎え、やはり称賛、そして拍手しかありません。
 よくぞ走り抜かれました。
 山口さんとのSNSでの少しだけのメッセージのやりとり、形見として大切にします。厳しいご体調の中、メッセージを下さったことに、心から感謝しています。


我が子を闘病の末に喪う親の気持ちとは

 私は人間の子の親になったことはありません。人間の子に特有の愛しさも苦労も、そして人間の我が子に先立たれる痛みや悲しみも、我がこととして経験したことはありません。
 しかしながら50歳を超えると、我が子を喪った経験を持つ方々が、直接知る範囲に若干はいます。
 そのお一人が、「空手家図書館員」として知られる井上昌彦さんです。
 井上さんは2012年6月6日、当時小学6年生だった娘さんを、脳腫瘍との約1年にわたる闘いの末に喪われました(井上昌彦さんのブログ)。
 井上さんは図書館員、そして保育園給食の調理師であるお連れ合いも元図書館員です。知と情報を駆使してネットワークを構築しつつ、娘さんの闘病と生活、そしてご自分たちご家族の生活を支えるご夫妻のパワーは、約10年後の今から思い返しても驚嘆すべきものでした。
 しかしながら、いかに知や情報や人的ネットワークの支えがあっても、瘉えない哀しみは瘉えないものであるようです。私はご夫妻を知る者の一人でしかありませんが、ご夫妻の歩みを通じて、我が子を愛するということ、そして我が子を喪うということについて少しずつ理解が及ぶようになりました。
 (後記:山口さんのお父様のツイートによれば、山口さんが旅立たれたのも6月6日だったとのこと。なんという奇遇。もう私は生涯忘れようがありません)

 山口さんのご両親、そして弟さんに、どうか最大限の配慮と思慮が向けられますように。

勝手ながら、絶対に言わないで(書かないで)ほしいと思うこと

 山口さんご自身からの弟さんへのご配慮は、ご著書やブログのはしばしに感じられました。具体的にどういう記述があり、私がどう感じたのかは、書かずにおきます。代わりに、思い出したことを書きます。

 1986年、私が山好きの大学生だったころ、冬山での遭難事故がありました。亡くなったのは物理学者の水戸巌さんと、20代だった2人の息子さんたちです。事故そのものは、冬山遭難としては珍しくないタイプの事故でした。しかも、亡くなった方々は合計3名。多人数ではありません。そういう事故は、山岳雑誌では詳細が報道される可能性もありますが、一般的には「新聞の社会面に少しだけ取り上げられることもあるかもしれない」程度。そして、あっという間に忘れられるのが通例です。

 ところが水戸父子の遭難は、女性週刊誌にまで相当のボリュームで取り上げられました。私は当時すでにTVを所有していなかったのですが、TVのワイドショーでもかなり報じられたようすです。というのは、山に無関心な私の母親が「TVで見た」と言っていましたから。

 よくあるタイプの冬山遭難、しかも犠牲者の人数が多いわけではないのに通常のメディアで大きく報じられたのは、水戸さんが大学教員であり、2人の息子さんたちが京大院生・阪大生だったからでした。受け手である女性週刊誌の読者やTVワイドショーの視聴者たちの反応は、「京大と阪大なのに、もったいない」。ときに「せっかくお父さんが大学教授で、受験勉強させて成功させたのに(嬉しそうな薄笑いとともに)」というものでした。当時のメディアはまさに、そういう関心に応えたわけです。

 世の中のそういう関心、そういう反応に、明快な「No」は言えませんでした。私は20代前半。水戸父子の遭難に対してそういう関心を向ける方々は、私の親世代だったり母親自身だったりしました。下手にその人々に逆らうと、あとでどういう反撃を受けるかわかりません。「イヤだなあ」と思いながら反応せずにいるのが精一杯でしたが、それはそれで、その人々からは「自分の正論に共感しない」という反感を買うんですよね。さらに意図的に曲解されて「心がない」「人が死んでも平気」という形で伝えられていることを、あとで知りました。
 でも、もしも当時、言い返すことが可能であれば、私はこう言いたかったのです。

「亡くなった息子さんたちが京大院生や阪大生じゃなかったら、何が違うんですか? その息子さんたちと一緒に亡くなったお父さんが大学教授じゃなかったら、何が違うんですか?」

 言い返しても、「アンタは何も分かってない」「世間知らず」といった反応しか返ってこなかったでしょうけど。

 今も当時も、山岳事故あるいはその他の不慮の事故、そして難病で亡くなる方々の中には、富裕層も貧困層もいます。受験競争の勝者も敗者も、そもそも競争に参加できなかった方々もいます。そういったバックグラウンドによって、病苦の実質や愛しい者を喪う哀しみの具体的内容が少し異なってくることは、現実の問題としてありえます。
 貧困問題や生活保護界隈の取材・報道をしてきた者として、カネの切れ目が治療の切れ目となりかねないこと、そして病苦の中でさえ尊厳をもって扱われない方々、ご遺骨が無縁仏のものとして扱われるしかない方々が少なからぬ人数でおられることは、良く知っています。でも、その状況そのものが解決されるべき社会課題です。「そういう人々がいるから、より恵まれている人々は何をされてもしかたない」という考え方を、私は受け入れられません。
 お金があっても、別の一面では勝者であっても、人間として味わう痛みや哀しみそのものがなくなったり軽くなったりするわけはないのです。

 どうか、誰かの「やっかみ」や醜い感情によって、ご遺族が心を乱されるようなことは決してありませんように。


闘病する若い方、そしてご家族のために

 闘病する若年の方、そしてご家族のために「何かできないか」というお気持ちを持たれる方には、以下の事柄を提案いたします。
  • とりあえず、山口雄也さんが亡くなられた状況やお葬儀に関する情報を求めたり探ったりしない。ご遺族が自ら公表されるまで待ちましょう
  • 山口雄也さんのツイッターを読み、参考になったと思ったら「いいね」をクリックする
  • ご著書を読む。できればAmazonhonto読書メーターなどにレビューを書く
  • noteでご記事を読み、良いと思ったら「スキ」やコメントをする(ただし、サポート(投げ銭)や有料記事購入にあたっては、いつまで可能か分からないこと、銀行口座凍結などによってご遺族に負担がかかる可能性があることも考慮する必要があります)
  • 献血する。献血センターがいかに素敵な場所であるかをSNS等で述べる(山口さんは、治療に大量の輸血を必要としており、献血への意識喚起もされていました)
  • 献血できない人は、日赤などによる献血のお願いをSNS等で拡散する
  • 重い病気と闘病する人々やその家族、亡くなった方の遺族の心境について、信頼おける書籍を読み、傷つけることなく支援する方法へと近づく