白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして自分のメモを記すシリーズを、7回にわたって続けてきました。
 本記事は番外編として、見当たらなかったものについて述べます。それは、共働きで子どもたちを育ててきた山口さんのご両親に対する世間の批判や非難です。

 当該のご著書はこちら ↓ です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




働く母親への世間の批判が見当たらない


 山口さんのご両親は共働きです。そのことは、ご本人がツイッターで述べています。ご著書の中にも、保育園に通っていたことが記されています。

 ご著書で闘病について読み進めているとき、私にはやや違和感がありました。共働きのご両親、特にお母様に対して、息子が若くしてがんに罹患したことと結びつけて非難するようなご近所さんや親類はいなかったのでしょうか? 実はいろいろ言われてはいるけれども、息子の耳には決して入れなかったのでしょうか?

 ご著書は、あくまでも山口さんが自分の目線と立場から書かれています。ご家族は登場しますが、あくまでも息子である山口さんから見たご家族です。「もしも、◯◯という深刻な出来事があったら、山口さんを通してこのような描写が現れるはずではないか?」という私の仮定の中には、両親の共働きとがん罹患を結びつけて非難するご近所さんや親類の存在がありました。

 ご両親は、私より少し若年の方でしょうか。だとすると、ご両親が結婚や出産や育児を意識されたり実現したりされたころ、女性のライフプランや結婚や育児に関する世の中の認識は、私が20代や30代で経験してきたものと大差なかったのではないかと思います。山口さんの幼少期、ご両親の周辺には、「保育園に子どもを預けて働くなんて、子どもがかわいそう」「共働きの母親は子どもに充分な愛情を注げない(注いでいない)」「共働きだと食生活が乱れがちになるから子どもの身体が健全に育たない」といった声が大なり小なりあったはず。共働き家庭の子どもが非行に走ったり重い病気を患ったりすると、表に現れないまでも「それみたことか」というほくそ笑みが、近辺のどこかにあったはず。

 私には約10歳下の妹がおり、両親は戦前生まれで現在80代です。少なくとも私が30代半ばあたりまで、すなわち1990年代の後半まで、私の親やきょうだいが「共働きは子どもがかわいそう」という考え方を明確に否定したことはありません。20代や30代、初期の女性総合職として死ぬ思いをしながら職業生活を続けていた私に、母親は結婚や「親に孫の顔を見せる」ことへのプレッシャーをかけつづけました。1990年代に入った後、私は妹にから「子どもを保育園に預けるなんて」という非難をされたことがあります。妹は20歳を過ぎたばかり、私は30歳を過ぎたばかりでした。1990年代後半になると、母親は焦りからか「共働きもアリ」という認識を示すようになりましたが、母親はとにかく孫が欲しかっただけで、その孫を生む私の人生や職業はどうでもよかったようでした。私自身は「子どもを持ちたい」とは思わなくもなかったのですが、それほど強い欲求ではありませんでした。共働きに適した配偶者になれそうな男性を見つけることは、1990年代だと絶望的に困難だったりもしました。というわけで1990年代後半、35歳を過ぎるころに自分自身の子どもをあっさり断念し、世の中や世界の子どもに対する子育ての社会化に注力したいと思いました。

 山口さんのご母様は、1963年生まれの私と1972年生まれの妹の間あたりの世代に属しているのではないかと思います。よほどの進学校や高偏差値大学、あるいは「女子だからこそ手に職」というタイプの学校を除き、高校も高校以後も、教室の中には「女の幸せは結婚であるべき」というタイプの女子がいたはず。そういう思い込みがただされる機会も少なかったはず。

 その親世代、現在の団塊世代以上に当たる世代には、たとえばウーマン・リブ運動と子どもの共同保育のような活動をしていた人々もいました。しかしながら、ごく少数派でした。物心ついてから青年期まで「女の幸せは結婚」と思いこまされたまま専業主婦になるか。職業を持つ女性として生きていくのが大変すぎるので不本意に専業主婦になるか。そうではない人生を目指したい女性も、たいていは、それらのバリエーションへと追い込まれるものでした。

 他の選択肢が選択肢にならないから専業主婦になり、家事と育児に専念し、自分名義の収入を持っていない女性たちの近くに、職業生活を継続している女性がいて、しかも結婚していて子どももいる。案外、幸せそう。しかもフルタイムの母親ではないのに、子どもたちの出来が案外良い……となると、そこには嫉妬と憤懣が渦を巻く世界が生まれがちです。その女性たちが悪いというより、女性たちは親世代や男たちの代理戦争をさせられているわけでもあります。

 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きでの育児は、正々堂々と市民権を得ていた時代だったでしょうか? そうではなかったという認識があります。というわけで、山口さんのがん罹患がご両親の共働き育児への「それみたことか」という批判や非難の噴き出し口にならなかったことは、私にとっては「ちょー驚き」でした。でも、冷静に考えてみると、現在ならそれが当たり前のような気もします。

 私なりに理由を推測してみます。
 山口さんが幼少だった2000年前後、共働きカップルが保育園も何もかもフル活用して共働きで仕事も育児も大切にするライフスタイルを実現し続けようとする場合、批判や非難は受けつつも、それなりに「存在するのが当たり前」という感じの理解が広がりつつもあったような気が。
 1990年をすぎてバブルが崩壊した後は、日本経済の低迷が続きました。「結婚後は片働き(という言い方はありませんが)で専業主婦になって家事育児に専念する」という選択肢は、選びたくても選べるとは限らないものとなっていきました。男性会社員の片働きによる夫妻のライフプランが、そもそも成立しにくくなっていったからです。というわけで、結婚して子どもが生まれたら共働き育児、あるいは最初から結婚しないという選択が増えました。そして、共働き育児が「当たり前」に近くなっていく2000年代を経て、「保育園落ちた日本死ね」が生まれる2010年代を迎えたわけです。

 2021年現在、保育園に子どもを預けて働くこと自体は批判や非難の対象になりえません。
 共働きで育児するカップルや個性豊かに健全に育ちゆく子どもたちを、内心、面白くなく思っている人々は、そこにもここにも実はいるのかもしれません。でも2010年代後半、その思いを正論めかして語ることは、既にはばかられる状況になっていました。「保育園落ちた日本死ね」は、大きな反感とともに、反感を上回る共感と支持を引き起こしました。山口さんのご両親を襲った「元気で優秀だった息子の10代でのがん罹患」という衝撃的な出来事は、概ね「保育園落ちた日本死ね」と同時期のことでした。「共働きで子どもを育てたから悪かった」という批判非難が、問題になるほど湧かなかったとすれば、その最大の背景は「時代が変わった」ということでしょう。

 このことに気づいたとき、私は嬉しくて涙が出てきました。世の中は、少しずつ少しずつマシな方へと動いているじゃないか、と。
 実際には、ご両親の共働きと育児をチクリと刺す声があったり、宗教や健康食品を押し付けたりする動きがあったのかもしれません。若干なら、時代や世代と関係なく起こりそうではあります。でも、大きな問題になるような規模では発生せず、継続もしなかったのなら? そういうことを口にした瞬間に、誰かが諌めるものになっているのだとしたら? 自分と違う生き方を認め、自分と違う生き方をしている家族を襲った衝撃を「他人の不幸は蜜の味」とすることを慎むようになっているのだとすれば? 
 「人間として当たり前のことがやりやすくなっているだけ」と言えばそれまでですが、日本社会にとっては大変な達成です。


山口雄也さんを応援する方法の例

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