白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの5回目です。
 私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。




3・ 12 (2017. 3. 12)

 二万人近い人々が今日を迎えられなかったあの出来事から、ちょうど六年が経った。明日が来ることを信じて疑わなかった二万の命が失われた。二万。二〇〇〇〇。あの日、人の背丈を優に超える津波から逃げる人々の姿を、僕はテレビの中の出来事として捉えるので精一杯だった。

 2017年3月12日に書かれた記事です。2011年、東日本大震災の本震と大津波が発生した日から満6年と1日が過ぎた日。

 大抵の人は、死にたくないときに死ぬ。あの日亡くなった二万人のうち、死にたかった人はどれだけいたのだろう。当たり前の日常なんて幻でしかない。

 2011年3月11日に大津波が襲う数分前、私は自宅でパソコンの前で身を固くしていました。当時13歳と12歳だった猫たち(現在はいずれも天国に)が、パソコン画面と私の間に代わる代わる割り込み、私の顔を見て「みゃーっ!」「にゃーっ!」と繰り返しました。「カーチャン、見るのをやめろ!」ということのようでした。
 猫たちは、「じしん」という言葉は知っていました。私はいつも、「ゆらゆら、じしん」という言葉で、猫たちに「ゆらゆらがくる、ねるおへや(寝室、倒れて来るようなものは置いていない)ににげる」と教えていましたから。でも「つなみ」「おおつなみ」という言葉は、猫たちがその日初めて、私のただならない表情とともに耳にする用語だったはず。
 いずれにしても、パソコンの画面の中に映る石巻市、仙台市北部、気仙沼市。私の行ったことのある街の数々に、大津波が迫ろうとしていました。私は猫たちの真剣な表情を見て、パソコンの前を離れました。家族であり共に生きる同志である猫たちが、そこまで「見るのを止めさせなくては」と必死になるのなら、私はそのタイミングで見るべきではないのだと考えました。というわけで、大津波が襲った瞬間はリアルタイムでは見ていません。
 そして、大津波のあとで雪。津波を生きながらえたけれども凍死された方。津波に呑まれず凍死も免れたけれども、何らかの事情で震災に関連して亡くなった方。大自然の前に、人間はあまりにも無力です。
 日本列島は、国全体が活断層の上にあるのも同然です。四季折々の豊かな自然は、四季折々の自然災害と背中合わせです。いつ、何が起こって、それまでの「日常」が失われることになるか。誰もにとって、明日は我が身。

 19歳だった山口さんが、多くの人々と違っていた点は、予後不良のがんを告知されていたことです。

 いつ死んでもいいなんて境地には、自分はおそらく立つことはできない。けれども、今日できることを今日やって、当たり前でない「当たり前」にひとつでも多く気付くことくらいならできそうな気がする。失ってから気付かされるような人生は御免だ。明日が来なかったとして、後悔するような今日を過ごしたくはない。今日が最後になるかもしれないとして、それでいいのかと問い続けていたい。

 今、「今日が最後になるかもしれない」という状況に、日本の多くの人々が直面しているはずです。
 明日、新型コロナ感染症らしい症状が現れるかもしれません。明後日、呼吸困難によって、なんとしても入院させてもらわなくてはならないという状況に陥るかもしれません。その翌日に呼吸器を挿管され、その3日後には死んでいるかもしれません。現在の日本で流行している変異株N501Yは、若く基礎疾患のない人にとっても重症化リスクや死亡リスクが低くはなく、しかも感染力が強いわけですから。

 コロナ禍が発生して以来ずっと、実は、そういう先行き不透明すぎる状況が続いているはずです。というより、もともと先行きは不透明なもので、コロナ禍が顕在化させただけなのかもしれません。東日本大震災のような自然災害と異なるのは、どこが最悪の時点で、どこから少しずつでも希望が見えてくるのか、まったく見えないことです。自然災害だったら、最悪の時点は発災直後です。遅かれ早かれ、不公平や理不尽はあれど、復旧復興へと向かっていくわけですから。

 ともあれ、2017年3月12日の山口さんは、肺の手術を控えていました。

 今朝、起きるといつも通り今日が来ていた。当たり前ではない〝いつも通り〟。  外に出てみると少し肌寒かったけれど、冬ではなく間違いなく春だった。春の匂いがしていた。ふと、肺を切ると言われたのを思い出して、この空気を今のうちに胸いっぱい吸い込んでおかなければいけない気がした。それさえも当たり前ではなくなるから。

 山口さんの文章は繊細で叙情的です。この「3.12」という節は、特に繊細で、特に叙情的です。
 描かれているのは、癌告知を受けて手術を前にしている時点です。
 同時に、昨年と同じように冬の終わりと春のおとずれを迎えている時期です。
 東日本大震災の「あの日」を否応なく想起させられる日の翌日でもあります。
 その3つの異なる時間軸の重なり、そして揺れる思いと感情の動きは、「これ以上繊細に具体的に描くことはできないのではないか」と唸ってしまうほど美しく描き出されています。

 そして私は、毎度のことですが、「もしも山口さんが男性でも京大生でもなかったら」と考えてしまうのを止められません。
 繊細で叙情的な文章、感情や思いが細やかに具体的に描き出された文章が、もしも女性によって書かれたものであったら、繊細さや叙情性や感情描写の具体性は、その文章の価値を高めるでしょうか?  山口さんの一連のツイートは、もはや一つの叙事詩になっています。もしも書き手が女性であったら、詩的な側面はジェンダーと無関係に評価されうるでしょうか?
 私の人生経験は、「そんなことは決してない」と私に語ります。
 20年以上前、会社員だった時の上司(東大卒)は、初めて自部署に迎えた女性総合職の私に対して、何もかもを「女だから」と結びつけようとしました。その結びつけ方はあまりにもくだらないので、ここに具体例を示すのは止めておきます。その元上司は、4歳でモノカキを志した私の文章が巧いからといって「文章が巧いということは内容がウソだということ」としました。文章が巧いから内容がウソだとしたら、文章が巧い研究者やジャーナリストは男性を含めて全員がウソを書いていることになりますね。また、繊細さや叙情性や感情描写についても、ことごとく蔑みや非難の文脈でしか言及されませんでした。そんなものを会社の業務の文章で書くことは決してありませんが、なぜか私の私生活に異様な関心を持っていた元上司は、私がプライベートでやりとりする文書の中身まで把握していたのでした。このような人々は、男女を問わず、世の中にまだまだ多数いるでしょう。女性が女性であるままに、そんなことを言われなくなるためには、「ベストセラー作家」「芥川賞(例)作家」「◯◯大学教授」「インフルエンサー」といった称号を獲得して「名誉男性」になる必要があるのかもしれません。
 私は女性である上に障害が重なりましたから、もう諦めてます。それに、もしも何らかの称号を獲得すると、それまでのネガティブな言動をガラリとポジティブに覆す人々を多数見ることになるでしょう。それは、最も見たくない風景です。

 ともあれ、私は女性として障害者として、山口さんの親であってもおかしくない年齢の人間として、私自身の問題として、山口さんの言葉を大切にしようと思います。
 再掲します。

 明日が来なかったとして、後悔するような今日を過ごしたくはない。今日が最後になるかもしれないとして、それでいいのかと問い続けていたい。


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本記事を書いて推薦したくなったコンテンツ

 山口さんの文章を読んで思い浮かべたのは、スティーブ・ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチです。

私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。(略)
我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。

 人としてのジョブスをどう評価すべきか。難しいところではあります。俗に「偉い人はエラい人」と言います。出世したり成功したり出来る人は、人間としては「近寄るな危険」であったりします。しかし、歩みから学びうるものは多いと思います。
 というわけで、本・コミック・映画を紹介します。