私はここ数ヶ月、原家族トラウマから急速に解放されつつある実感がある。
 それを実感したのは、昨日のことだ。

 いつものように、突然、妹の3人の息子たちのことが思い浮かんだ。

 妹の3人の息子たちは、全員が10代。1人は理工系分野で、2人はスポーツ分野で、早くも頭角を現したり活躍したりつつある。

 思い出したくも考えたくもないのだが、我が身を守るために最低限、今どうしているかの情報は収集してきた。

 両親(直接言葉を発するのは主に母親)が、私の弟妹、結婚したらその配偶者の言動や活躍ぶりを、私に対してどのように活用してきたか。それを考えると、弟妹の子どもたちが今どうであるかは、充分に警戒の必要のある情報だった。

 たとえば母親が、弟妹やその配偶者について、仕事の内容や過去にしてきたことを私に語るとき、そこには「アンタも似たようなことをしている(していた)のかもしれないけど、それには価値がない」というニュアンスがつきまとった。私はせめて、母親が私をsageる目的でそれを口にしていることを、母親自身の言葉で語ってほしかった。しかし私がはっきりさせようとすると、母親はキレたり、あるいは他の誰か(父親とか妹とか)を連れてきて私の異常さをアピールしはじめたりするのだった。

 弟妹の子どもたちとは、2008年を最後に会っていない。父親が2006年ごろから少しずつ、2007年から明確に、私を段階的に血縁から排除していったからだ。父親はその後も、さまざまな口実で、排除をどんどん激化させていった。

 弟妹の子どもたちの中には、生まれたのは知っているけれども一度も会っていない子どももいる。会わないこと自体は、別にかまわない。幼少の子どもたちが単独で私と会うわけはなく、そこには子どもたちの両親や祖父母がセットでいるはずだ。そこに私がいたら、必ず傷つけられるだろう。そうなることが最初から分かっているのに「近寄りたい」とは思えない。

 たとえ、弟妹や配偶者や子どもたちの美点がことさらに「私sage」に使われないとしても、弟妹は結婚しており、子どもたちがいる。弟夫妻は共働きでもある。妹は通常の専業主婦生活以上のことをしている。どれも、私がしていないことだ。違う人が違う人生を歩んでいるだけのことなのだが、どんな小さなことも、両親がいれば比較と「私sage」の題材に使われるだろう。弟妹も、両親の作ったパワーバランスを崩さず、私を人間サンドバッグか何かのように扱ってきた。弟妹が「そうではなくなった」と信じられるような変化は何もない。弟妹にとっては、両親の作ったパワーバランスを変化させず強化することには利得があり、そうしないと損失だけだ。変えるメリットがない。だから変わらない。これまでの事実が、そう語っている。最初から惨めな負けが予定されていた私の人生は、さらに惨めになり、さらに大きく負けるだけだった。少なくとも、両親と弟妹との関係では。

 弟妹あわせて2人と私の比較ですら、私にとっては充分に痛いものだった。今や、弟妹とその配偶者と子どもたちの合計人数は、少なく見積もって9人に達する(私が知らない間に生まれた子どももいるかもしれない)。9以上対1。私が傷つけられたり負けさせられたりする可能性は、さらに大きくなった。せめて少なく傷つくようにしなくては。

 だから私は、比較され蔑まれる恐怖や苦痛と闘いながら、本当に最小限度に弟妹と子どもたちの情報を収集してきた。本当は、収集したいと思っていない。けれども私は、比較されて貶められたくない。蔑まれたくない。苦痛の上塗りをされたくない。最低限に情報を収集しておかないと、両親が次にどこから何を繰り出してくるか全く読めない。防御できるはずの攻撃を防御できずに傷つけられることは、避けたい。

 妹の子どもたちは、私によって「sage」られるようなことはない。なにしろ本人たちが好むと好まざるとにかかわらず、生まれた時から私の両親によって、私に対する攻撃兵器のように使われてきたり使われる可能性がある立場に置かれているのだ。私から見れば、その攻撃力を見積もるにあたって、過少に見積もることはあり得ない(たとえ、本人が攻撃するわけではないとしても)。ただし、過大に見積もることはありうる。なにしろ、小学校にも行っていない幼児や、ハイハイして喃語をしゃべる乳児だった時期から、既に私を両親がチクリチクリネチリネチリと攻撃するのに使われてきたのだ。今や、妹の子どもたちは10代になり、素晴らしい活躍をしている。私にとっては、恐怖でしかない。現実の蓄積に裏付けられたこの恐怖を現実化しない方法は、両親や弟妹ごと、弟妹の子どもたちと接触しないこと。それ以外に選択肢があるのならともかく、現実として選択できる方法は何もなさそうに思える。

 昨日も、妹の子どもたちのことが頭に浮かんだ。しかし、不思議なことに気づいた。生々しい恐怖感や苦痛がなかったのだ。

 私はただ、「どこかには、そういう10代もいるだろうねえ」という感慨をもって、妹の子どもたちのことを思い浮かべた。恐怖は湧かなかった。 

 もしかすると、物心ついた時以来ずっと私を苛んできた、両親が恣意的に作るモノサシで自分の何もかもが無価値にされてしまう恐怖から、私は解放されつつあるのかもしれない。「もう二度とそんなことはされない」「過去に両親がしてきたことを、なかったことにしないことができる」という非現実的すぎる夢を、現実にできるのかもしれない。