2016年2月9日で、猫の摩耶(享年18)を喪ってから5ヶ月になりました。
早いものです。

2015年2月9日の摩耶と私。
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この間の心と身体の動きを整理すると

2015年9月9日 
摩耶、他界
2015年9月 
自分の一部を喪ったような痛みと脱力、食欲喪失。
2015年10月 
もう立ち直れないかのような悲しみ。摩耶と暮らした18年3ヶ月のうち18年2ヶ月は、摩耶幼少のころの私の勤務先での追い込み退職を引きずった問題が次から次に起こり続け、悲しみ、怒り、嘆くことが多かった。摩耶にもっと笑顔を見せてやれなかったことを後悔。もちろんその私の笑顔は「男社会で生きていけなかったけど、家庭の幸せがあるから、まあいいや、お皿洗って幸福感でも」であってはならないわけで、私は「男社会でうまくやれず、猫の子どもたちに笑顔をたくさん見せることもできず、仕事でも家庭でも失敗したどうしようもない自分」と自分を責めた。さらに2014年-2015年、生活保護にからんで2人の生活保護利用男性+1人の生活保護利用者家族男性に苦しめられ、金銭等の実害もあったことから、「あんなことさえなければ」と自分を責めた。
2015年11月 
猫を抱きたい、触りたいという思いに駆られる(瑠はボディタッチが好きでないのです)。自責の思いは、「そんなにも最低の男たちに最低のことをされていたにもかかわらず、猫の子どもたちを寿命まで守り通せた自分、支えてくれた猫の子どもたち。これはこれで価値ある物語ではないのか?」というふうに変わってきた。2014年の生活保護男性らの件については、「摩耶に対してベストを尽くせなかったのは、あの人達のせいだ」で気持ちに折り合いをつけることにした。実際、かなりそうなんだし。
2015年12月
瑠との距離感のある同居生活に「これはこれでいいや」と感じ始める。食欲がないだけではなく、胃腸の動きがおかしくなり、排便が不規則に。元勤務先のことは、急速に記憶の前面に出てこなくなり、「昔の話」という箱に収められ、開ければ見えるがふだんは見えないような感じに。
2016年1月
食欲、何か食べて「おいしい」という感じが、少しずつ復旧し始める。胃腸の動きはさらにおかしくなり、排便はさらに不規則かつ酷い便秘に(繊維質たくさん食べてるのに) 。元勤務先のこと、2014年-2015年の3人の男性のことなどは、ときどき、すさまじい怒りとともに思い出された。「相手を殺してやりたい」「相手を、生まれてきたことを後悔するほどの目に遭わせてやりたい」が具体的な方法やシーンとともに思い浮かぶ感じ。ただ長続きはしない。1分も続かないのだが、「こんなにも激しい怒りを覚えていたのか」と自分で驚いた。そして、今後はそういう人々を遠ざけようと決意。
2016年2月
排便リズム復旧し始める。摩耶が生きていた18年間の摩耶との出来事が、その時期に職業世界その他でどれほど辛いことがあったとしても、ただ「摩耶がいた時間」として幸せに思い出される。

癒えない傷って、ないんですね。
2017年7月は、元勤務先で凄まじいイジメが始まってから20周年です。
それから、2000年の退職後、少なくとも2012年前半まで何があったか。
どんなふうに引きずられたか。どんなふうに、私のそれまで築いていた人間関係を破壊されたか。
私の攻撃者と化した時期が年単位であったにもかかわらず、私との関係を続けようとする人々を、私はその後どうしたか。未だ断ち切れない人々を、どうするつもりか。
2017年7月までには、まとめられるようにしたいものです。

バカバカしい目に遭わされる人間も、そんな人間のもとで本来なら与えられるはずの愛や関心や資源を与えられなくなる猫も、できるだけ、生まれませんように。