過日絶交したブラ美(仮名)さんは、過去の職場で東大卒業者と一緒に働いたことがありました。
ブラ美さんについては
難忘的一夜 - ゼミ前日にブラ美さん(仮名)に転がり込まれた件
をご参照ください。
この夜、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と主張していました。

東大卒業者がいたのは、現在53歳のブラ美さんの2つ目か3つ目の職場でのことだったそうです。中規模か小規模の専門商社だったと聞いたような記憶があります。
時期は1990年か1991年ごろ。まだまだバブル経済が続いていたころです。
ブラ美さんのいた職場には、東大卒の新人が3人いたとのこと。
うち1人は女性で、人前で鼻クソをほじる癖があり、その鼻クソを「こんなに大きいのがとれた」と同僚に見せびらかしていたそうです。
他の2人も、何かと問題があったそうです。詳細は覚えていませんが、無断欠勤が多いとか、電話応対ができないとか、叱ったら親から苦情の電話がかかってくるとか、当時の「問題の新人」のよくあるパターンのいくつかだったと記憶しています。
この3人から、ブラ美さんは「東大卒は使えない」と結論づけていました。3人が3人ともダメだったから、と。

私はこのとき、
「この時期が空前の売り手市場だったのは覚えてるよね? 大手有名企業でもブランド大学卒業者の採用には苦戦してたでしょう? 私のいた一部上場の電機メーカーも、何年か続けて東大卒の採用が出来なくて、東大出身者たちが『社内同窓会を維持できなくなる』と危機感を抱いてたよ。単純に、採用が難しかったから問題の大きな人でも採用せざるを得なかっただけで、『東大』はあまり関係ないんじゃないの? そのころの私の同期にも、鼻クソほじる癖のある京大出身者がいたよ」
と答えました。
その答えは、親の反対で四年制大学に進学できず女子短大に進んだブラ美さんを、全く満足させないものであったようです。
 
1990年に私が一部上場電機メーカーに就職したとき、同期に東大出身者はいませんでした。早慶上智・旧帝国大学の出身者もほとんどいませんでした。
同期400名のうち数名は旧帝国大学出身者でしたが、そのほとんど全員が中国籍などの外国人でした。どこの国であるかはっきり覚えていませんが、イスラム教国の出身者も一人いました。そのたった一人のために、合宿研修のときには宗教的禁忌に配慮した食事が用意されていました。
他にはMARCHや関関同立が若干、入試偏差値でいえば40台〜50台が中心の感じでした。そこまでの売り手市場だったんです。
同期の中に、京大出身の男性が一人いました。 この男性は、人前で鼻クソをほじる癖がありました。しかもそれを相手の服になすりつけたりするのです。相手は女性であったりもしました。3年ほどで、数ヶ月単位での異動を繰り返した末、セクハラの嫌疑をかけられて退職したと聞いています。もしかするとセクハラの内容は「鼻クソを女性の服になすりつけた」だったのかもしれません。他にもさまざまな奇癖がありました。朝、出勤しようとして職場近くまでやってきて、コンビニの店頭でマンガ本の立ち読みを始めて遅刻するとか。

現在なら、ブラ美さんの3人の東大卒の元同僚も、京大卒の私の同期も、まず正社員としての就職は不可能だろうと思います。 「東大」「京大」といったブランドがあっても、そこまで問題のある人を企業コミュニティの一員として受け入れたいと考える企業はないでしょうから。
しかし、自分の能力努力の不足によってではなく四年制大学への進学の道を閉ざされたブラ美さんにとって、20年以上前のその出来事は、現在も「東大卒はダメ」の根拠とするに足ることであるようです。

「行きたいのに行けなかった」「したいのにできなかった」という人たちの怨恨は、どう晴らされればいいんだでしょうか?
ブラ美さんの怨恨の晴らし方は、どう考えてもおかしな「逆恨み」の類だと思います。
でも、不本意に蓄積させられた怨恨を自分の心がけや努力によって昇華することを、さまざまな機会に恵まれなかった人が 一方的に求められ続けるのは、ブラ美さんの「逆恨み」以上におかしいと思います。

この問題に結論は出せていません。
私自身も、今後、どうすべきなのかを自分自身の生き方を通じて考え続けなくてはならない立場にあります。 
私にも「したいのにできなかった」がたくさんあります。
さらに、「できる」に近づけ、「できる」を達成したら、さらに成功しないように脚を引っ張り続けられることの連続でした。 
「脚を引っ張る人々やその行為がおかしい」 とは思います。
私は、そんなことをされたくありません。
怨恨の怪物にならざるをえない人々が既に抱えさせられてしまった怨恨に対する何らかの解決が必要だとは思います。
でも、私が怨恨をぶつけられることは解決ではない気がします。