サッカー・ワールドカップの会場で、車椅子に乗っていた男性が立ち上がっていたことがネットの話題となっています。
 車椅子から立つ…健常者が障害者チケ購入か

「立てる」「若干なら歩ける」は、「車椅子は不要なはず」「障害者ではないはず」の根拠にはなりません。日本の厳しすぎる障害認定基準においてさえ。そんなことをしたら、
「実際には車椅子が必要な障害者であるにもかかわらず車椅子など必要な補装具などの交付対象にならず、したがって生きていけない」
という人が多数困惑し、社会参加・生活・場合によっては生存までも断念しなくてはならなくなります。
まあ、「あれは障害を偽装しているのではないか」と言い立てたがる方々は、そういうことを問題にしているわけではなく、
「障害者席いいなあ、障害者席を利用しているのに障害者でなさそうに見える、けしからん」 
なのでしょう。自分たちの嫉妬が誰をどんなふうに困らせようが、知ったことではないのでしょう。

結論からいうと、障害者席は羨ましがられるようなものではありません。もし、件の立ち上がっていた男性が障害を偽装していたのであるとしたら、たぶん動機は「障害者席しか残ってなかった」あたりではないかなあと思いますよ。たいていは特に安くもなければ良い場所でもないので、もし他の選択肢があるのならば、積極的に買いたいものではないのですよね。
いくつか例をあげます。
  • 球場 
私は野球観戦の趣味がないのですけれども、友人の一人が野球狂です。神宮球場での試合観戦に誘われて、その気になって調べてみました。
 内野席・外野席とも、「障害者だから非常に安く良い席が使える」というようなことはないですよ。
神宮球場:車椅子席 

東京ドームの場合、内野席にしか車椅子席がありません。「安くていいから」というニーズを持つ車椅子族は考慮されていないことになります。
東京ドーム:巨人公式戦 チケット料金

障害者の多くは充分な経済力を持っていません。「障害者ゆえに、健常者同等に安い店や安い座席を利用できない」という問題は切実です。
日本では、ファストフード店や牛丼チェーン店の多くが車椅子でのアクセスを事実上阻んでいます。狭いスペースに座席を押し込み、しかもその座席が固定式であったりしますから。同じチェーンが米国内の店舗では、ちゃんと車椅子でアクセスできる環境を整えていたりします。入り口にスロープを設け、店内には通常のテーブルと椅子を設け(椅子を外してもらえば車椅子で食事できるように)。ADA(米国障害者法)で、そうすることが義務付けられているからです。日本には該当する法律がありませんので、スペースを食う車椅子族は事実上排除されるわけです。ダブルスタンダード。

  • 映画館 
車椅子席は、一番後ろであることが多いです。あるいは最前列の右端か左端。首が疲れるので、最前列の車いす席は車椅子族に結構不評です。

  • コンサートホール 
車いす席は、アリーナ該当部分の最後列の右端か左端であることが多いです。音が偏って聴こえるし、「自分は今回のコンサートでこれ(たとえばピアニストのペダリング)が見たい」といった固有のニーズが考慮されるわけでもありません。健常者だったら、お金払えば(そして空席があれば)自分のニーズに適した場所を選べるのに!

以上、正直なところ、
「なんで、こんなものが羨ましがられるかねえ?」
といったものばかりなのです。 
私は「もう少しマシになってほしい」と思う一方で、「今の日本では、この程度にしておかないと」とも思います。
「障害者が安くて(本人にとって)良い席を選べる」
という状況が用意され、その事実が広く知られると、今まで以上に健常者の嫉妬を恐れなくてはならなくなりそうですから。嫉妬によって悪意を正当化する健常者の暴走は、冷静な議論で止められるものではありません。その暴走で障害者や障害を抱えた人がどんなに困惑しようが、暴走する健常者の知ったことではありません。そして現在の日本では、政府もそのような健常者の暴走を政治利用します。私はそれを、佐村河内守氏の事件でイヤというほど見ました。恐ろしい。

怖くてコンサートにも映画にも行けなくなるより、ちょっとだけ料金を割り引かれて、条件の悪い席で、それでも「見る(聴く)ことくらいはできる」 に満足させられる方が、いくらかはマシな気がします。