前エントリ「2013年12月、ある朝の出来事」の、伏線というべき出来事です。
その前の晩、ある合宿の参加者全員で、飲みに繰り出しました。
道路の歩道は、補修中の箇所が多く、まことに車椅子では通りにくくなっていましたが、
「慎重にいけば、まあ、なんとかなるかな」
という感じでした。
歩道から車道に下り、また車道に上がるときも、それほどスムーズという感じではありませんでした。高さの差は3cmくらいでしたか。私はそのたびに車椅子(簡易電動)を手動運転に切り替え、前輪だけを上げてウィリー状態にして歩道の上に上げ、ついで後輪で前進して歩道に上がりました。「前輪だけを上げてウィリー状態で段差を越える」は、標準的な車椅子運転テクニックの基本の一つです。車椅子の手動運転の出来る人なら、おそらく誰でも出来るかと思います。これが出来ないと、「ちょっと近所でお買い物」も出来ないことになりますから。
あるところで、段差を越えようとしていたときです。
60代女性が、「押せばいいの?」と言いました。
私は
「押さなくていいです」
と答えましたが、女性は車椅子を押し始めました。そのとき、私は車椅子を手動に切り替え、ハンドリムを握ったところでした。その状態で後ろから押されると何が起こるか。ハンドリムが勝手に動くということです。私はハンドリムと車輪の繋ぎ目に指を引っ掛けてしまいました。ちょっと大げさに
「イタっ!」
と声を出しました。
60代女性は、もしかしたら聞こえていなかったのでしょうか。車椅子を押し続けていました。歩道のヘリに前輪が引っかかった状態なので、押しても前には進みません。
ステッピングバーのある通常の日本の手動車椅子なら(これが日本標準になっていることにも問題があるのですけれども、それはさておき)、
「ステッピングバーを踏んで前輪を上げる」
という方法があります。でも私の車椅子は、日本で一般的なタイプと少し違うので、ステッピングバーがありません。
いずれにしても、私は困惑しました。一般的な車椅子のハンドリングも知らない人が、「それでは前進しない」という方法で、しかも私を危険な目に遭わせて、でも善意で車椅子を押そうとしているのです。
私は、早く歩道の上に上がって、先に進む他の人たちに追い付きたいだけなのに。それは自分で出来るし、3秒程度で済むことなのに。
私は60代女性に
「手を離してください」
と言いました。遠慮と取られないように、きっぱりと。
そして歩道に上がり、60代女性の方を見ました。可能であれば、何が問題で、何をしてほしくなかったのかを伝えようと思ったのです。でも女性は、憤懣やる方ないという表情になっていました。私は何も言わないことにしました。この方はおそらく、少なくとも障害者に対しては
「自分が善意でやったことは、善意として受け取られて感謝されなくてはならない」
とお考えなのでしょう。そういう考え方の方に何を言っても無駄だと思うのです。
この翌日、「2013年12月、ある朝の出来事」が起こりました。私に無遠慮な詮索をした60代女性は、私に「手を離してください」と言われた60代女性と親しい別の方でした。
無遠慮な詮索に、私が最大限に丁寧な返事をして、しかし納得が得られなかった後、朝食の時間になりました。
私は、二人の60代女性のすぐそばに座ることになりました。そこで挨拶しました。二人は私を、硬く、異物を見るような表情と視線で見ました。
その朝食のときも、その後のプログラムのときも、二人の女性は決して私を見ませんでした。
「そこにいてほしくない」「あなたが存在することが不愉快です」というメッセージだったのでしょうか。
言葉で発されなかったので、なぜそうなったのか、どう考えていたのかは未だに不明なままです。
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