2013年12月、ある種の合宿に参加していたときのことです。
その合宿に参加している人々は、文化や教養を大切にしている方々、であるはずでした。
宿泊のときには、旧知の60代の女性と同室になりました。数年前から、その界隈のイベントで顔を合わせることの多い方ですが、特に親しいというわけではありませんでした。
正確にいうと、3人部屋でした。もう一人、40代の女性がいました。この方とは親しくしていただいています。

朝、私が目を覚まして机に向かい、自分の事務所の経理処理をしていたときのことです。
60代の女性がバスルームから出てきて、
「あなた、何の障害なの?」
と話しかけてきました。「藪から棒」とか「いきなり」とかいう感じでした。
資金繰りでいつもいつも頭を悩ませている私は、その時も頭を悩ませながら作業していました。それを中断されて、たいへん当惑しました。
私は自分の障害について、特に隠していません。といいますか、詮索されるのがイヤなので、数年前からWebで公開(更新をサボっていて近年の状況は反映されていませんが)しています。 
ここで私が「◯◯病です」と誰もが知っている病名を答えるか、それとも、自分自身も説明に苦労する来歴と現状を答えるかは、実は同じことだと思うのです。いずれも「自分は……という特性を持っている」「自分は……という人生歴を持っている」ということの表現に過ぎませんから。
違いは、そう答えられた人の反応にあります。
「◯◯病です」と言えば、その内容や患者の実情がよくわかっていないにもかかわらず、なんとなく納得されるでしょう。
説明に苦労するような来歴と現状を答えた場合、まず納得はされません。質問者がもともと持っていたのが疑念であれば、その疑念が増幅されるだけ。「障害者福祉いいなあ」という種類の(誤解に基づく)怨念だったら、その怨念が増幅されるだけです。だから、答えるだけムダなんです。正しい応答は
「なぜそれを聞くんですか(表情と声で精一杯怒りを表現しつつ)」
あるいは
「……(徹底無視)」
もしくは
「なに詮索してんだよ、バカヤロウ!(怒鳴る)」
の類でしょう。無遠慮に尋ねることに問題があるんですから。
ところがこのときの私は、まったく愚かなことに、礼儀正しく丁寧に説明してしまったのです。相手は年長者だから、という遠慮がありましたしね。

その60代女性は、
「ふーん?」
と、納得していないような疑念たっぷりの表情を浮かべつつ、
「年金は受けてるの?」
と聞いてきました。ああ、不正に障害者福祉を受けているのではと疑っていたんですか、そうですか。この出来事は2013年末、佐村河内事件以前のことではあります。もともと、こういうことを言う方はたくさんいました。佐村河内事件の後で何が変わったかというと、そういう発言をするにあたっての「ためらい」「迷い」といったものの一切感じられない方が増えたということくらいです。
私は障害基礎年金を受けていることを答えました。といいますか、このことも何年も前から公開しています(何年も更新してなくて、近年の状況は反映されていませんが)。
すると女性は、自分の知り合いの難病患者か何かの話をはじめました。
「知り合いに……病(具体的に何だったか忘れた)で全然歩けなくて車椅子生活している人がいて、褥瘡(だったか? 不十分なケアが原因で起こる何か)が出来たりとかしてるんだけど、『生きていられるからいいや』って言ってる」
というようなことを言いました。
私は、何が言いたいのかよくわかりませんでした。
障害者は、褥瘡が出来るような状況でいなくてはならないということ?
私みたいに車椅子で飛び回っている元気な障害者の存在は許されないということ?
私にも「生きていられるだけでいい」と思えということ?

そこに、同室の40代女性がやってきました。別のどこかにいたようです。
60代女性の詮索と、わけのわからない話は、そこで止みました。

こんどその60代女性と会ったら、どういうつもりでその話をしたのか、背後にどういう障害者観があるのか、その人が属する世界でその障害者観に問題がないと思っているのかどうか、小一時間問い詰めたいと思っています。
「覚えてない」と逃げられるあたりが関の山でしょうけど。

 

後記: 
障害基礎年金については、「働いているのに受けているのか」というようなことも聞かれたような記憶があります。
まことに返答に困りました。「どこから説明すればいいのか」と困ったのです。 制度に関する基本的な知識が全然ないようでしたから。
身体障害については、基本、働いている/いない の区別はありません。障害に対する年金ですから。ただし20歳以前(本人が年金保険料を支払い始める以前)に発生した障害については、所得制限があります。
精神障害については、就労状態や就労収入の金額によっては障害年金の支給停止がありえます。実は現在、これが非常に大きな問題となっています。
精神障害者は、ヘタに就労すると障害年金を切られるので「働いたら損」。精神障害者「ならでは」ということで政府が用意した仕事につくと、就労収入と障害年金のどちらを取るかの二択になります。やはり「働いたら損」。
こういう状況が温存されている一方で、「就労促進」と言われているわけです。それも福祉的就労ではない一般就労が促進されているわけなんですけれども、必要な配慮を受けられずに1ヶ月とか3ヶ月とかで退職に至るパターンが多く(求職者は多いので、企業側は「障害者雇用率の数合わせ」には全然困りません)、「(精神)障害者も就労によって安定した生活ができる」という状況には程遠い現状。「障害がある者は生きてはいけない」と制度が言っているかのようです。

少なくとも制度に関しては「ググレカス!」でいい、と最近は考えるようになりました。誰でも知ることのできる情報を調べてみることもしないでドロドログログロの怨念疑念をぶつけてくるような人を相手にしてられるほど、人生長くありません。