4月末から、ヴァイオリンのレッスンを再開しました。不定期に、月に一回か二回くらいのペースです。

29歳で始め、4年間ほどレッスンに通っていましたが、当時の勤務先で退職に追い込まれ始めて楽器どころでなくなり、中断。落ち着いたらレッスンを再開しようと思っていましたが、中途障害者になって、また楽器どころでなくなりました。
なんとか障害との折り合いがついたら、もう50歳。残り人生のためにも、持っているスキルや能力は、なるべく若いうちに磨いて向上させておきたいと思うのです。
音楽に関することもいくつか維持しておこうと、まずはヴァイオリンを再開することにしました。

運動障害が既に発生していた2006年冬、バッハ「シャコンヌ」を当時のテクニックで弾けるように編曲してさらい、故・母方祖母に聴いてもらいました。私の楽器のもともとのオーナーは、故・母方祖父です。認知症がかなり進んでいた母方祖母でしたが、当時はまだ亡夫の楽器を孫娘が弾いていることを理解できました。

その後、運動障害は手や腕にも及びましたが、2008年、ヴァイオリンを出してみると、ある程度は弾けることが判明しました。しかし当時、杉並区福祉事務所の紹介で受けていた訪問医療の女性医師が、なぜ出来るのかとさんざん疑った上、「私、田舎者だから」と激しいコンプレックスをぶつけてきました。私は音楽歴と人生がほぼ重なっています。それは悪いことなのでしょうか。オケやバンドなどでのステージ経験も多いので、弦が切れた状態とか指が一本使えない状態での演奏も「その場面になったら、するしかないでしょ」です。その時も、使える指を使える範囲で使ったのでしたけど。医師は、自分には理解出来ないと言う代わりに、私を疑い、攻撃しました。
当時来ていたヘルパーもまた、私的なコンプレックスを私にぶつけて虐待したりするタイプでした。恐ろしいので、楽器はメンテナンスのための最低限しか扱わなくなりました。

今、とりあえず、身近にそんな危険な人はいません。いないように見えているだけで、実は「壁に耳あり障子に目あり」だったり、陥れようと機会を伺っている誰かがそこらへんにいたりするのかもしれませんが。
私は、精神的に抑圧されずに、したくて出来ることはなるべくやり、後悔少なく残り人生を過ごしたいだけなのです。
迷いました。怖い、とも思いました。でも私は、ヴァイオリンを再開することにしました。その結果として生きていけなくなるかもしれないとは、今でもやはり思うのですが。

でも、長年練習していなかったので、再開しようにも楽器の持ち方も定かでないほどでした。私は自力でなんとかするのを早々に断念し、レッスンを受けることにしました。幸い、近隣で大人の指導に慣れている先生、しかも不定期のレッスンに対応していただける先生を見つけることができました。

さて。
それにしても怖いのは「サムラゴウチかよ」という種類の詮索です。
誤解に基づいた詮索や噂話は、最初からされないのがベストです。
誤解であることが後に判明したとして、万一、攻撃の当事者たちが謝ったとしても、被ったダメージは修復できませんから。
結論からいうと、過去の年金や手帳の診断書と矛盾することは、現在ヴァイオリンを弾くにあたっても、やってません。理由は単純。できないから。
腕や手や指の使い方は、指導を受けながら、かなり工夫しています。健常な人と同じようには、やっぱりできませんから。
工夫しても、衰えた運動能力や筋力で弾くということの問題は残ります。

というわけで、論より証拠。
本日の練習前の血圧と脈拍数。私にしては、やや高めかな。
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約30分間練習した後です。さらった曲は、特に速いパッセージや弓使いを要求するものではなく、「シンドラーのリスト」のテーマ曲です。
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これでも血圧や脈拍数の上がり方は、レッスン再開した直後に比べると、おとなしくなりました。
でもまだまだ、有酸素運動の領域です。

これを
「あんなことが出来るんだから障害はないのでは」
とか言われてもねえ。
言いたい方はいるでしょう。
せめて堂々と、表で、正体を明かして言ってほしいものです。
私は、匿名をいいことに言いたい放題、言ったことの責任は取らない種類の人たちによって社会的に殺されたくありません。
そういう人たちへの対策で消耗し、ビクビクオドオドしているうちに、「何も出来なかった」と後悔して人生を終わりたくありません。


後記:

>今、とりあえず、身近にそんな危険な人はいません。いないように見えているだけで、実は「壁に耳あり障子に目あり」だったり、陥れようと機会を伺っている誰かがそこらへんにいたりするのかもしれませんが。

つい数日前、私は住まいの入り口で車椅子を下り、ついで車椅子を歩行器代わりにして玄関に入ろうとしていました。
振り向くと(振り向いた理由は覚えていません)、洗車していた近所の男性が、私の後ろ姿をじっと見ていました。
私が振り向いたのに気づいて、男性は何事もなかったかのように洗車を続けました。
現在住んでいる近辺に私が越してきた約15年前から、顔見知りのご近所さんです。
私が車椅子を使うようになってからの生活の変化も、かなりご存知のはずです。
そもそも私は、若干の歩行ができることを隠していません。調子のよいときはリハビリを兼ねて、車椅子を歩行器代わりにして、その通りを数メートル歩いたりもしています。私、「人間の身体は動かしてないと具合悪くなる」と思ってますから。その歩行(車椅子を歩行器にして)をするにあたって、「近所から誰か見てたらやらない」とか考えたことはありませんから、おそらくその男性は、確率の問題でその姿も何回かは見ているはずです。過去何年にもわたって。
なぜ数日前に限って、マジマジ見ていたんだろうかと気になります。
一つ私が認識していることは、佐村河内事件の後で、ふつうに挨拶していたご近所さんたちの態度に「もしかすると疑念を持っているのでは?」と感じられることが増えたということです。