「食の激戦地」と呼ばれ、魅力的で個性的な飲食店が数多い西荻窪に住んでいる私は、外食が大好きでした。
しかし、この4月後半から体調を崩していたこと、大学院進学で学費に加えて交通費や宿泊費がかかるようになったことから、外食はなるべくせず、自炊中心の食生活に切り替えていました。

外食をやめて最初に気づいたのは、「時間が浮く」ということでした。往復の時間、待ち時間、ゆっくり食べる時間、食後にぼんやりする時間、帰りについ立ち寄ってしまうスーパーで費やす時間。合計で1.5時間以上にはなります。
自宅で軽く何か作って食べれば、よほど手の込んだものを作らない限り、準備から後片付けまで30分程度です。
もちろん、お金も浮きます。原材料費と光熱費だけですから。

最大のメリットと感じられたのは、人と会う機会を減らせることです。お店のスタッフもお客さんも含めて。
外食をしないということは、お店に出入りする姿や飲食している姿を他の方に見られないということです。「障害者のくせに」「障害者なのに」という視線や、場合によっては言葉(直接でなくとも、当てこすりでも)を浴びせられたりしないということです。噂話のネタにされる機会も減らせるでしょう。
若干の歩行のできる私が、歩行している姿を他の方に見られる機会も減らせます。
「若干でも立ったり歩けたりするなら車椅子に乗ってはならない」
という自分ルールを勝手に作る人は、実に多いのです。
もちろん「ジロジロ見られる」などの差別を受ける機会も減ります。

西荻窪で長年、美味しく栄養バランスもよい食事を提供していただいている飲食店の経営者やスタッフの方々とは、長いお付き合いです。長い方は25年ほどになります。中には、私の障害について、よい理解者である方々もいます。
しかし、お店の方々がよい理解者であり偏見がないとしても、場を共有するお客さんを選ぶことはできません。
ただでさえ仕事と学業だけで大変なんです。脅威に出会う機会はなるべく減らし、余分な面倒を背負わずにいたいと思うのです。
私の場合、外食を減らすことは有用な方法でした。

昨日、久々に寿司が食べたくなり、生活圏内の「くら寿司」に行きました。
私はそこで、車椅子から座席に移乗する姿を他のお客さんにジロジロ見られ、食べる姿もジロジロ見られながら特に美味しいというわけではない寿司を食べました。
食べながら
「私は今まで、こんな不快で恐ろしいことを、よく続けてこれたなあ」
と思いました。
飲食店のような場で出会う不特定多数のお客さんたちには、おそらく一定の比率で、障害者差別がしたくてたまらない人・女性の障害者という存在を無礼に扱っていいと思っている人が含まれています。
人数が多ければ、そういう人の近くにいる確率は上がります。
あからさまな無礼を働く人は、
「大衆的ではない価格帯のお店に行く」
といったことで、ある程度は避けられるかもしれません。でも、大衆的ではない価格帯の店には、障害者に代表される差別の対象とホンネでは同席したくない人も来て、まさにそのために高い対価を支払っていたりもします。
というわけで、お金で客層を選ぶ作戦も、こと自分が差別に遭わない目的では有効でないのです。

もちろん、こんな状況がこのままでよいとは思いません。
では、この状況を変えるために有効なのは、不快に耐えて外食する姿を街中でさらすことでしょうか?
それとも、著述業や研究で結果を出すことでしょうか?
どう考えても、自分の場合は後者だと思うのです。