私は2000年に統合失調症と診断され、2007年に精神障害者保健福祉手帳を取得しました。
当初は3級、2009年の更新で1級。これは正直「なんで?」と思いましたよ。開店休業に近いとはいえ著述業を営んでおり、研究が全然進んでいないとはいえ大学院にも通っていましたから。1級じゃ重すぎるんじゃないかと。
その後、失効に気づかないでいた時期がありましたけれども、2012年の更新で2級。2014年の更新で2級。まあこのあたりが妥当なところじゃないかなあと私も思います。
精神障害の級の定義は、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律施行令により、このように定められています。 

一級 日常生活の用を弁ずることを不能ならしめる程度のもの
二級 日常生活が著しい制限を受けるか、
       又は日常生活に著しい制限を加えることを必要とする程度のもの
三級 日常生活若しくは社会生活が制限を受けるか、
       又は日常生活若しくは社会生活に制限を加えることを必要とする程度のもの

「著しい制限」だったら、私の場合もバリバリ加わってますよ。
 
まず、精神障害に独特の疲れやすさがあります。
精神的に、私は健常者に比べると非常に疲れやすいのではないかと思います。特に、対人関係ストレスに非常に弱く、激しい「人疲れ」をします。「ヘルパーさんが来る」さえ、「生きるために仕方なく受け入れている、非常にしんどい時間」という感じです。
ましてや、通常の日本的オフィス環境でのオフィスワークは、私には無理でしょう。
一時期の私は、半導体の設計を業務とする外資系企業でパートタイムのドキュメントエンジニアもやっていました。私は、「そこの環境だったら長期に勤務できるのではないか」という感じがしましたが、残念なことに会社が倒産しました。その会社の職場環境の特徴は、業務分担が明確・業務内容が明文化されており明確・必要とされるスキルや評価も明確 というところです。仕事はそれなりに大変でしたし、悪い評価がされるときは厳しいものではありましたが、そこの風土は私には非常に合っていたと感じています。
でも、日本的職場環境を前提とする限り、私にオフィスワークは無理でしょう。「雇用されて働く」はまあ無理だろうと思っています。著述業で何とか生きて来れたから、「雇用されて働く」が難しいことは大きな問題にはなっていませんが、障害によって職業機会を大きく失っていることは事実だろうと思います。

妄想幻覚は、「ない」と言える時期がほとんどない、という感じです。程度に大きな波があり、
「幻聴さん、ああ、いるなあ」
程度の時期もあれば
「幻聴がうるさくて行動できない、もう帰って布団かぶって寝る」
という時期もあります。 
うつ、不安その他の精神症状も、ちょっとした引き金で簡単に表面化します。
妄想幻覚・うつ・不安が表面化した(自分にとっての)不穏な精神状態になると、仕事どころではなくなります。だから可能な限り、「そういう状態に陥らない」という努力をするしかありません。すると「無理はできない」ということになります。よく寝て、ちゃんと食べて、ちゃんと風呂入って、極度に折り合いの悪い人間が近くにいたり、攻撃されていたりというような状況ではなくて……といった日常生活と職業生活の維持が、最大の予防策になります。 
それでも何年かに一度、 不穏になることはあります。一度不穏になってしまうと、通常の生活を営める状態に戻すのに1~2ヶ月かかります。そのロスを防ぐために、やはり「不穏にならない」が最重要、ということになります。
不穏化は、2005年1月以後「なし」を更新してきましたが、2014年3月に起こしてしまいました。引き金は、佐村河内守氏の一件です。
不穏になると、私は引きこもります。「外に出ても大丈夫なんじゃないか」と思えるまで、可能な限り引きこもります。 家の中で幻聴妄想について何かを話しているわけでもなく、ただ、可能な限り、布団をかぶってボーっとしています。「する」というより、「それしかできない」という感じです。そして、可能であれば仕事をします。しないと余計に具合が悪くなります。といいますか、零細フリーランサーの私が「仕事をしない」 ということは、そのまま収入に関する問題です。それは貧困妄想につながるので、精神状態の悪化を避けるためにも仕事はしたほうがいい、ということになります。

私の周辺の精神障害者たちは概ね全員が、自分の障害と折り合い、それが一定のハンディキャップであることは認めつつも、一つの個性や適性として生かしていく道を探っています。不適切な治療・治療環境として不適切な家庭などによって「こじれる」ことがなければ、だいたい30歳で折り合い、40歳で生かせるようになる感じです。
妄想幻覚がいわゆる「自傷他害」につながるケースはなくもないのですが、圧倒的に多いのは自傷なので、
自傷他害
と書かれるべきでしょう。
そもそも、妄想として現れる内容が「他害」を必要とするものであり、さらに「他害」によって解決できると(本人が)考えてしまうようなものでない限り、本当に「他害」に結びつくことは、まずありません。少なくとも
「既知外だから突然何をするかわからない」
ということは、全くないとは言いませんが、非常に少ないというべきでしょう。私には数多くの精神障害者の知り合いがいますし、「キレて叫び始めて自傷を試み始める」といったことも何回かは近くで見ていますが、「突然」は一度も経験していません。背景があり、「自傷するしかない」と本人が思いつめてしまって解けない状況があり、煮詰まった表情や声や態度が数時間前にあり、行動化したのでした。しかも1ケースを除いて全ケースが、他害ではなく自傷です。他害の1ケースも、殺傷を目的として手足を動かすというよりは、当たらないように殴るふりをするという感じでした。そのくらい、他害は少ないんです。

少しずつでも、こういうことは訴えていったほうがいいと思うので、書きたい・書けると思った時に書いていくことにします。