私は3人きょうだいの一番上で、4歳下の弟と9歳下の妹がいます。
確か2002年に妹が、2003年に弟が結婚しました。
弟は、立派な学歴と職業を持つ女性と結婚しました。最後に噂を聞いた2013年秋時点では、二人の子どもの世話を私の両親に依頼したりしながら、共働きを続けているようでした。

2003年、弟が結婚した直後から、母親は
「アンタ、福岡に帰ってこれんとね?」
と私に言うようになりました。また、
「老後は嫁ではなく娘と暮らすのがいいと、(母親の高校の同級生は)みんな言っている」
と言うようになりました。
それは私にとって大変なプレッシャでした。
私は結婚はしないかもしれませんが、自分の仕事や自分の人生を組み立てて展開していきたいのです。
妹と弟が結婚したとたんに母親がそういうことを言い出したことに、私は激しい恐怖を感じました。母親に人生を奪い取られてしまう、乗っ取られてしまう、と。
親の老後については、10代のころから意識していました。自然に「ある程度は介護をするものであろう」と考えていました。きょうだい3人いるのだから、協力すればどうにかなるだろうと思っていました。でも、母親がこういうことを言い出したとき、私の中で何かが切れる気がしました。そんなふうに介護を押し付けられることに対しては、絶対にイヤだという気持ちが大きく湧き上がってきました。

妹とは現在は絶縁状態ですが(参考:妹との最後の会話)、2003年~2004年ごろは、まだ普通に会話のできる関係でした。
そのころ私は、「母親が自分の老後を私に頼ろうとしている」と妹に話しました。
妹は
「そんなことはない、お兄ちゃん(弟)のところに行くはずだ」
と言いました。
私は、
「お母さんは私に実際にそういうことを言っている」
と懸命に話しましたが、妹は相手にせず
「お兄ちゃんのところに行くはず」
と繰り返しました。
でも、当時の母親は実際に、私に対して執拗に「自分たちの老後を」という意味にしか取れないことを繰り返していたのです。母親が実際に言っていたから、私は妹に「お母さんがそう言っている」と言ったのです。それを妹が全否定するという図式でした。
繰り返しますが、母親が実際に「近くに住んで自分たちを介護してほしい」としか取れない内容のことがらを言っていたから、私は「お母さんがそう言っている」と言ったのです。妹の発言が事実をいくらかでも反映しているのであれば、母親が私にそんなことを言うこともなかったはずです。
私は何回も、妹に対して、
「お母さんはそう言っている」
と繰り返したのですが、妹は一度もそれを真に受けず
「お兄ちゃんのところに行くはず」
の一点張りでした。私は確かに、母親に何度も何度も、介護を求められていたのに。妹はなぜ、母親がそう言ったということも、私がそう聞いたということも、繰り返し否定したのでしょうか? 否定できたのでしょうか? 
そして2005年、私に運動障害が発生すると、翌年の2006年、父親が「ウチはもう関係ない」と私に言い渡したのでした。「自分たちの老後の介護力にならなくなった娘なんか要らない」ということでしょう。

最近の私は、この時期の妹との会話を思い返して、
「妹は、母親が実際に私に老後の介護を求めていることに気づいており、それは大変好ましいことだと思っていたので、『そんなことはない』と繰り返したのかもしれない」
という可能性に、やっと気づくようになりました。
当時も現在も、妹夫妻は弟夫妻と円満な関係にあるようです。妹の3人の子どもたちは、弟の2人の子どもたちと仲良く遊べる従兄弟であるようです。その円満な関係を壊さないためには、妹夫妻と弟夫妻が両親の介護をめぐって綱引きを繰り広げるような状況は望ましくないでしょう。
両親の介護が主に私に振りかかるという状況は、妹にとっても望ましい状況であるはずです。私を虐待した母親・その虐待を黙認していた父親を私が介護するとして、私の内心がどれほど辛く苦しい思いでいっぱいになろうが、妹は私に対して
「お母さんがどれほどお姉ちゃんのことを思っていたか」
を説教し、私が納得しなかったら平手打ちの一発二発を浴びせれば済むことです。高校生だった妹は、実際に25歳の私にそうしたことがあります。

原家族の中で孤立無援だった私の悲しみや苦しみを、妹が理解することは、永久にないでしょう。
遅すぎたかもしれませんが、私は、妹が私を痛めつけることなど何とも思っていなかったという可能性に気づくことができて、よかったと思っています。