私は主に母親によって、4歳下の弟との間で、非常なきょうだい差別を受けました。
最初は母親が行い、弟が母親に言われたり促されたりするままに同調し……という感じでした。
参考:弟との間にあったこと

私はその一部始終を目の前にしていましたが、止めることはできず、ただ、弟にさまざまな種類の暴力を振るわれ続けているしかありませんでした。
私は弟が16歳のときに実家を離れましたが、そのような状況は、弟が20歳まで続きました(大学再受験で私のアパートに滞在した際)。その後も、両親はあくまでも弟の側に立ち続けました。

長年、私には疑問がありました。
当初、弟が母親によって、私を痛めつける者となるように仕向けられたのは事実です。それは、弟がまだ物心つかない幼少のころでした。1歳とか2歳とか。
でも弟も、いつまでも小さな子どもではありません。判断力がないまま、親が許しているという理由で私を痛めつけ続けていたとも思えないのです。
弟の方は、どういうつもりだったのでしょうか?
弟は私に対して、イジメや虐待を行っているという意識はあったのでしょうか?

2003年だったか、弟が35歳くらいで結婚したとき、疑問のごく一部が解けました。
実家の台所で、弟と私はほんの1分足らずの会話をしました。
弟は
「Kくんと、こないだ会って。お姉ちゃんの話が出たよ。Kくんは『ボクたちが仲間外れにしてイジメて、ヨシコちゃん、傷ついたやろうねえ』と言ってたよ」
と語りました。笑いながら。軽い調子で。
「Kくん」とは、母の兄の双子の息子の一人で、私の一歳下です。私は幼少時、その家にしばしば預けられていたので、双子のK・Mと良く遊んでいました。しかし弟が3歳、私が7歳になるころから、K・Mは弟を仲間とし、同時に、露骨に私を仲間はずれにするようになりました。
「男の仲間に女が一人」
と囃し立てられたり、2対2に別れて何かのゲームをしていたところ、目配せとともに3対1にされてボコボコにされたりといったことがしょっちゅうでした。それでも、泣くこともできませんでした。ガマンできずに泣くと、母親に私が「問題を起こした」と責められるからです。K・Mは、弟からそのことを聞いており、私のことを「安心してイジメられる」と考えている節がありました。
私は弟に
「ああ、とても傷ついたよ。今でも傷ついているよ」
と言いました。真顔でした。
弟は顔をこわばらせました。
その時、弟の携帯電話が鳴りました。弟は弾かれたように立ち上がり、離れた場所で電話に応答しました。

私は、どこか気持ちが落ち着くのを感じました。
それまでの私は、
「悪意ない子どもが、何気なくしたことなんだから、傷ついてはいけない」
と思い込んでいました。両親は私に
「大切な長男に何をされても黙ってガマンする姉」
を期待していました。
長年、私は「それはおかしい」と思い、腸の煮えくり返るような思いを抱えていましたが、辛さや悲しさを誰にどうぶつけてよいか分かりませんでした。その辛さや悲しさを、誰がもたらしているのかも良く分かりませんでした。
でもこの時、
「きっかけを作ったのは母親で、父親がそれを黙認あるいは暗黙のうちに奨励し、弟もそれに乗ったけれども、幼少時のあるとき、弟は自分の意志で姉である私を痛めつけることを選びとった」
という一つのストーリーが明確に見えた気がしたのでした。
それまでの私は、
「誰も悪くはなく、私の対応が下手くそなので、私は辛い立場に置かれ続けていた」
と思い込まされていました。父親がそれに近い言葉を私に語ったことは何回かあります。
でも事実はそうではなく、おそらく、
「家庭内で実権を持っている人々によって、子どもたちの序列と役割が決められ、子どもたちはそのように振る舞うように仕向けられ、あるいはイヤでもそうすることを事実上強制され、有利な立ち位置にいて暴力的であることを許される子どもたちは、それは自分自身にとって有利な状況なので、いつかその立ち位置を主体的に選びとった。不利な立ち位置に置かれた子どもは泣き寝入りを強いられるしかなく、その場ではそうするしかなかった(でも私は『面従腹背』『臥薪嘗胆』だった)」
ということなのです。

従弟のKとM、弟、自分の4人で最後に「遊んだ」のは、私が中学1年、KとMが小学6年、弟がたぶん小学3年のときのことでした。
鹿児島に赴任していた母親の弟が、母方祖母・母親・K・M・私・弟を、鹿児島での一泊か二泊の旅行に招待してくれたのでした。
母方祖母がいたので、母親もふだん私に対して行っているような差別を堂々とは行えませんでした。私はKやMと相撲を取り、気持よく投げ飛ばしたりしました。
これ以後、4人で遊んだことはありません。
4人で遊んでいた、弟が3歳~小学3年の期間のどこかで、弟には「姉をイジメよう」という主体的な意識が芽生えていたようです。
無垢な子どもが、悪意なく、ただ子どもらしく振る舞っただけで私を傷めつけたのであったら、私には救いがありません。
でも、弟は、自分の置かれている立場を自覚し、したたかに振る舞える子どもでした。私の目には、悪意をもって、子どもらしさを演出しながら私を巧妙に痛めつけているように見え続けていました。
大人になった弟自身の口から、それに近い内容の言葉を聞いて、私はほっとしたのです。
私の見方や感じ方は、おかしくはなかったのだ、と。