私には9歳下の妹がいます。
妹との関係には特筆すべきことはありませんでした。
普通に、年の離れた姉と妹だったかと。
私は妹が小学5年のときに実家を離れ、その後はあまり接触はありませんでした。
しかし妹が30歳近く、私が40歳前後になったころ、妹は執拗に、私に対して
「お母さんに虐待されたなどという事実はなかった」
と言わせようとしはじめました。2002年ごろのことかと思います。

妹と最後に会話したのは、2005年か2006年だったと記憶しています。
内容は、それまでの「いつも」どおり、下記のようなものであったと記憶しています。

妹:お姉ちゃんは、お兄ちゃん(弟)が生まれてお母さんを取られたのを、虐待と思ってるのでは?
私:そんなことはない。弟が生まれる前から、他に誰もいないとき、まったく理由不明の肉体的暴力があった。
 
妹:お母さんは、離れて住んでいるお姉ちゃんのことを、それは心配していた。 
私:それはあなたが聞いた話。実際にどうであったかとは関係がない。

妹:お母さんがお姉ちゃんに長電話をしょっちゅうかけたのは、心配だったから。
私:心配してかけている電話の内容が、ご近所さんの悪口で、私が嫌がると「聞きい!」と命令して聞かせるなどということがあるか?

妹: お母さんがそんなことをするわけはない。
私:あなたには事実であったかどうかを確認する機会がなかったはず。少なくとも、あなたが生まれる前(私が8歳以前)のことについて、なぜ真偽を判断できるのか? それに、虐待の多くは、周囲に他に人がいないとき・母親のその行為によって利益を受ける人がいるときに限って行われた。あなたは見ていない。「見たことがない」「見ていない」とはいえても「ない」とはいえないはず。

妹:お母さんは更年期だったのでは?
私:母上の更年期がいつだったのかを私は知らない。でも、時期による違いはそれほど大きくなかった。母上の態度の違いは、周囲に人がいるかどうか・誰がいるか・私との力関係は といったことで決まっていたようである。

妹:親にならなくては分からないことがある。自分も親になってから親の立場や辛さが分かった。
私:経験しなくては分からないことは確かにあるのだろう。それは虐待を良しとする理由にはならない。自分はこれから親になる可能性がない(40歳を過ぎたころ)。親にならなければ分からないことは、永久に分からない。

妹:自分も三人の子どもの親になり、長男にいろんなガマンをさせている。だからお姉ちゃんの受けた扱いも、しかたなかったのであり、お母さんも心が痛んでいたのではないか。
私:きょうだい順位による制約は必ずあることだと思うが、私の受けた扱いは「しかたない」と言える範囲にはなかった。しかも、母上は大変嬉しそうにやっていた。後に他の人に「ためを思ってやっていたが、やりすぎた。内心、心が痛んでいた」くらいのことは言うかもしれないが、事実そうであったかどうかとは関係ない。

妹:お母さんはお兄ちゃん(弟)には確かに甘かった。きょうだい差別なら自分もされているが、自分はお母さんが好きだし感謝している。
私:あなたは母上に食事を抜かれたり、スリコギやものさしでメッタ打ちにされたりはしていないでしょう? 「きょうだい差別」といっても内容がぜんぜん違う。

妹:お母さんは「ヨシコは長女だから深く関わって育てられた、下の二人はいろんな人が関わっていたから、ヨシコほど関われなかった」と言っている。だからお母さんは思い入れが強いだけではないのか?
私:思い入れないでほしいと言っているのではない。私が困ることをしないでほしいと言っているだけ。それに一番母上に深く関わられたのは、あなただと思う。母上と一緒に暮らした期間は私は20年。あなたは30年。しかもあなたは末っ子。

妹:(泣く)
私:私は、母上にどんなに痛めつけられても、泣くことさえ許されなかった。

妹とは、こういう堂々巡りの会話を、延々と何回もしました。
そして最後の会話のとき、妹は自分の長男(当時5歳くらい)を呼び、電話口で「ヨシコおばちゃん!」と言わせました。それで私を黙らせようとしたのです。私はその甥に
「今、お母さんと話しているから、お母さんと代わって」
と言い、妹に
「そんなことをするなら、もう、あなたと話すことはできない」
と言って電話を切りました。以後、妹とは一度も会っていませんし、話してもいません。

その後、何事もなかったかのように、妹からは年賀状が届き続けました。こちらも何回かは、「年賀状ありがとう」くらいの返事はしたような気がします。
妹からの年賀状は、いつも家族写真でした。電話で「ヨシコおばちゃん!」と言わされた甥の下に男子二人、それから妹夫妻。
それは、私にとっては、見るだけで辛い写真でした。
妹一家の笑顔は、私に「自分の経験したことは、なかったことにしなくてはならない」という圧力のように感じられるのです。私を痛めつけ続けた母親は、孫たちにとっては良い祖母でありつづけているからです。

2012年になってやっと、私は妹に「もう年賀状を送らないで欲しい」とハガキを送ることができました。
同時に、弟の妻にも、同じ内容のハガキを送りました。
弟の妻には何の恨みもないのですが、 やはり弟一家の笑顔の家族写真は、私に対する「経験したことを、なかったことにしろ」という圧力に感じられるのです。
母親は、弟の妻の良い義母であり、弟の子どもたちの良い祖母です。
私はそれを否定するつもりはありません。そうでなくなってほしいとも思いません。
でも、自分が経験したこととの違いが、あまりにも悲しいのです。