私の父親は1933年(昭和8年)生まれ、母親は1939年(昭和14年)生まれです。
父親は「焼け跡闇市」世代、母親は小学校以後、戦後教育を受けている世代ということになります。 

この数年で、「焼け跡闇市」世代の親たちに対して疑問を感じるエピソードを、いくつか耳にしました。
そして「戦後日本を支えてきた高齢者への社会保障は手厚く」という論理に対して、Yesと言えなくなりました。 
下記のエピソードは、全部実話をベースにしています。ただし個人を特定されないように、細部は変えてあります。

エピソード1 

一流企業のサラリーマンであった父親(故人)、終戦時に19歳、従軍経験あり。専業主婦であった母親(故人)、終戦時に15歳。一人娘、現在47歳。
両親は一人娘を大切に育て、短大を卒業させた。一人娘は短大卒業後、短期の就職経験を経て、一流企業のエリートサラリーマンと結婚。夫婦仲は非常に円満。子どもが三人。子どもたちは既に就職。
父親は定年後、自営業を開始。一人娘の夫は、借り入れ等の保証人となっていた。
両親は年金・自営業の収入などで、老後の生活を謳歌していた。
両親の死後、父親の莫大な借金が判明。一人娘夫妻は家屋などの財産すべてを失うことになった。しかし、そのことで一人娘夫妻の協力関係は壊れなかった。不幸中の幸い。

エピソード2

公務員であった父親、終戦時に20歳。大学生であったため従軍経験はなし。専業主婦であった母親(故人)、終戦時に12歳。55歳・52歳・48歳の3人の娘がいる。
母親は55歳のときに脳疾患で倒れ、19年間、娘たちの介護を受け続けた後で亡くなった。3人の娘たちはいずれも大学教育を受け、専門性の高い職業についていた。伴侶や子どもがいる者もいた。娘たちは自分自身の家庭や職業をかなり犠牲にして、母親を介護した。父親は、働き続けることによって妻の闘病を支えた。
母親の死後、父親は親類の男子を養子に迎え、その養子に全財産を残すという遺言を作成した。父親によれば、家の跡取りは男子でなくてはならず、娘たちはもう不要なのだそうである。

安易な世代論に走るべきではないとは思います。
「焼け跡闇市世代は」で同世代の方々をくくってもいけないと思います。
この世代の、人として尊敬できる方を何人も知っています。

でも、高齢者や政治家たちから「家族の支えあい」「家族の絆」「共助」という言葉が出てくるとき、私はこれらの エピソードを思い浮かべてしまいます。
家族や支えあいや助け合いを破壊したのは若年世代ではなく、現在、高齢者となっている世代なのではないかと思うのです。