今日の東京は昼前から雨。今はもう土砂降り。ときどき強い風も吹いてます。
お昼すぎ、傘をさして外に出たら、すぐ壊れちゃいました。
気温にもよりますが、雨に濡れること自体は平気です。なにしろ福岡出身。傘がさせない台風の日でも自転車通学して育ってますから。

こんな日に外に出てる人は、それほど多くありません。
道路にもスーパーにも、人があまりいません。
人があまりいないということは。
自分がジロジロ見られたり、スマホを向けられたり(勝手に撮影されること結構あります)、親切と称する余計なお世話をされたり、罵声を浴びせられたり(頻度は低く一ヶ月に2~3回程度(佐村河内氏の事件以前)ですが)しにくい、ってことなんですよ。なんと嬉しい状況でしょうか。
いや、不愉快なことが全くないわけじゃないんですけど、頻度が通常の1/3とか1/5とか、もっと少ないかな? という感じ。
あまり外出向きの天気ではなく、したがって人があまり街に出てきていないので、障害者に対して微妙な嫌がらせや陰湿な攻撃をする人も少ない、というだけのことと思われます。

私は、土砂降りの雨に濡れながら、楽しく、外歩きを楽しむことができました。
締め切り間近の仕事はあるんですけど、この、せっかく恵まれた外出の機会に、思い切り外の空気を吸っておきたいと思ったんです。 次は何日先のことかわかりませんから。
雨に濡れながら、外を快適に散歩しました。人があまり通りすがらない道路を、ジロジロ見られたり指差されて何か噂されたりするような目に遭わずに。
それから、大きめのスーパー3軒に入って、店内をゆっくり見て回りました。買い物は、2月に米国から帰国して以来、最小限の時間でそそくさと済ませる(あるいはネット通販で済ませる)用事になっていました。
今、何が、どういう値段で並んでいるのか、時にはゆっくり見たいんです。でもそれは、不快な目・恐ろしい目に遭ってまでやるべきことでもやりたいことでもありません。
今日は「まあ、不快や危険はあるけれど、許容範囲かな」と判断できる日でした。

それでもスーパーでは、足を止めてジロジロ見たがる人を追い払うのが大変ではありました。
こういう時、いつも私はそちらを向き、相手がジロジロ見るのをやめるまで、相手の目を見返しています。これは佐村河内氏の事件以前からです。スーパーでも、路上でも、電車の中でも。それは差別ですから。車椅子に乗っている人間という「異形の者」を見た時に視線がそちらに向くこと自体は生き物の本能であるとしても、何十秒もジロジロと無遠慮に見つめ続けるのは(障害者)差別でしょう。差別があってはならないことである以上、自分が差別に遭うことも、あってはならないことです。「自分が差別に遭っている」」という状況を、可能な限り、その場で解消することは、障害者である自分がやらなくてはならないことだと思っています。
ただ、相手に目をそらさせるまでの所要時間は、佐村河内氏の事件以後、以前の2~3倍になった感じがあります。以前は3秒もかからなかったのが、今は10秒でも足りないことがあります。ときには、断念してジロジロ見させておくままにせざるを得ないことも。1分も2分も気持ち悪いニラメッコを続けるほどヒマじゃありませんからね。
もしかしたら佐村河内氏の事件で、「障害者をジロジロ見るのは一応はいけない」「相手が障害者だからといって不愉快な思いをさせるのはいけない」という抑制もかかりにくくなったのでしょうか? たいへん疲れます。でも今日は、なにしろスーパーの中にいる人の総数が少ないぶんだけ、少しはラクできた気がします。

久しぶりに、仕事でも「どうしても」でもない用事で外に出て、外の空気を吸って過ごすことのできた4時間でした。
2月、米国から帰国して、初めてのことでした。

毎日、こんなだったらいいのになあ。
街に出ている健常者が少なくて、したがって無理解だったり差別的だったりする健常者も少ない、こんな日が続けばいいのになあ。
明日も大雨だったり、横なぐりの雨だったり、外に出づらい天気だったらいいのになあ。雪でもいいです。積雪5cm以下なら、車椅子でなんとかならないことはないですから。
明日も明後日もその次もその次も、
「春らしく晴れた気持ちのよい一日」
なんかにならなきゃいいのに。
そうしたら、私は毎日、今日と同じくらい、安心して外に出られるのに。
買い物にも行けるし、郵便局にも銀行にも役所にも行けるし、気軽に病院にも行けるのに。
「仕事だから!」と自分を奮い立たせなくても、外に出られるのに。