2011年3月11日に東日本大震災があり、翌日・翌々日から亡くなった方や行方不明の方の捜索が始まりました。
そこで報道された事実は、私にとっては非常に衝撃の大きなことでした。
残されたご家族は、ご家族を失ったことを本気で、心から、悲しんでいたからです。
そして、亡くなったり行方の分からなくなっていたりしたご家族を、必死で探そうとされていたからです。
それまで、私が一番身近に知っている「家族」というものは。
死んだり、近々死にそうであったり、あるいは、家の中からいなくなった家族の痕跡を、速やかに消すものでした。
対外的には、失ったことを悲しむそぶりはありました。でも、対外的にあっただけです。
私が東日本大震災の数日後からしばらくの間、感じ続けていた衝撃を、どう言い表せばいいでしょうか。
あれが「家族」?
あれが「家族を愛している」ということ?
だったら、私が知っていた「家族」や、その「家族」が言っていた「家族を愛する」は、いったい何だったの?
自分が理解していた、それしか知らなかった「家族(を愛する)」を、それまでとは全く違う意味内容に置き換えるには、その後数ヶ月はかかったかと思います。もしかすると、まだ完了していないかもしれません。
それは、とても辛い作業でした。
私自身が「家族」に愛されていなかったということを、どれほど愛されていなかったかということを、自分で再確認する作業だったのです。
東日本大震災は、私をその現実に否応なく向かい合わせました。
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