今日は3月11日です。東日本大震災から満3年です。
でも私にとっては、3年前の東日本大震災より、昨日の2つの出来事の方が大問題です。
3年前の東日本大震災では、東京も結構揺れたし、わが住まいでも「門柱折れる」「壁にヒビ」「浴室のタイル剥げ落ちる」「本棚3本倒れる」などの被害はありました。でもそれは3年前のこと。
昨日の2つの出来事は、近未来の私の生存・生活を危機に陥らせるかもしれません。 

●その一

昨日の午後、私は生活保護を申請する友人に付き添って福祉事務所に行きました。自分も(障害者福祉で)お世話になっている杉並区の福祉事務所です。といっても申請そのものには付き合っていません。
「何かあったら呼んでね」
といって、近辺にいました。
私は過去、3回ほど同様に生活保護申請に付き添って福祉事務所の近くや構内まで行ったことはあるんですが、カウンターや相談室の中、申請書を「出す」「出さない」の現場にまで付き合ったことはないんです。あくまで申請するのは本人なんだし、本人が申請できないとすればそれ自体が問題なんですから、最初から「福祉事務所性悪説」に立つようなことはせず、何かあったら呼んでもらえる態勢を整えておけば充分なのではないかと。で、結果として、中に呼ばれたことはありません。「もしかすると」ですけど、そういうバックアップ体制があって、本人がある程度落ち着いた態度で申請に臨んだ場合、いくらか水際作戦の類には遭いにくくなるのかもしれません。
しかし今回は気が揉めました。なにしろ友人は、相談室に入ってから4時間近く出てこなかったんですから。
私は最初の1時間は、猫糖尿病の臨床研究論文を読んで過ごしました。2012年10月、我が家の猫・摩耶(当時15歳)が慢性腎不全に加えて糖尿病を発症してから1年5ヶ月。日々のケアと治療費のやりくりが大変すぎて(当初の超大変な時期はとっくに過ぎましたけど)、糖尿病そのものについて調べたことはなかったのでした。その論文を読んで
「ひーっ! そんなに予後不良の病気でしたかーっ!」
と慌てたことを白状いたします。
まあ、でも、診断後の余命の中央値にそろそろさしかかろうとする現在、摩耶は元気だし、まだまだ頑張れそうだし……と気を取り直し、つぎの暇つぶし。バッグから本を取り出したのはいいんですが、既に読んでしまった本でした。丁寧に読みなおしたつもりでも10分。友人はまだ出てきません。申請に必要な書類は全部揃えて(何が必要なのかは本人が調べて揃えたということです)臨んだはずなんですが。
心配でしょうがないなあと思っていたら、お腹がギュルギュル言い始めました。心配と寒さで腹を下したようです。トイレに3回ほど行きました。それで合計15分ほどヒマが潰れたでしょうか。昨年11月半ば、日本南西部方面から私の生活の根幹を揺るがす攻撃があり、その時にも胃腸の具合が悪くなりました。今年1月半ば、その日本南西部の弁護士と対応を協議した翌日、2ヶ月ぶりに固体のUNKOが出ました。それで復調しかけていたというのに、2月半ば、佐村河内氏報道+田村厚労相の「障害認定を見直す」発言+ネット民の大喜び をシカゴで読んで、またUNKOが液状化。昨日朝は、半固体のUNKOが久々に出たところでした。それが午後、また液状化してしまった、というわけです。
ちなみに、私自身はストレスやプレッシャにそれほど弱い方ではないと思いますが、私の胃腸は弱いです。大学受験のころから、試験前日から当日まで固形物が喉を通りませんでした。大学の定期試験のときは、2週間ほどの試験期間全体にわたって固形物がほとんど食べられず、お粥・雑炊・スープの類をすすっていました。定期試験のたびに5kgほど体重を落としていたものです。若い女性としては、むしろ喜ばしいことでした。それに当時やっていた登山だの、かじっていたボルダリングだの、当時まだ続けていたフィギュアスケート(小学校高学年のときにちょっと習う機会があり、以後は可能なときに我流でやってました)だの、当時もやってて40歳くらいまで続けていた中距離走のためにも、体重が落ちて困ることはありませんでした。筋肉まで落とさなければね。ついでに、つけられる可能性のある勝手な「ご意見」を、先回りして潰しておきます。私にはっきりした運動障害が発生したのは42歳のときです。それと関係があるかどうかはわかりませんが、34歳の時に高熱を出して2日寝込んだ(寝込んでおり声も出せない状態だったため病院には行かず)ことがあって以後、走っていて突然片膝の力が抜けて転倒するということがときどきありました。でも10年近くもかけてゆっくり進行する運動障害の原因ってあるんですかね? それから、向精神薬を日常的に服用するようになった最初は29歳のとき。時間的関係からいって、心因反応説も、向精神薬の副作用説も、採用が困難かと思われるのですが。あ、心因反応は「屁理屈と膏薬はどこにでも……」という感じで、いくらでも「捏造」できるかもしれませんが。
話を、福祉事務所の相談室の中にいた友人に戻します。メールを打ってみたところ、数分後に返事があり、
「水際作戦の類に遭っているわけではないんだけど、書かなくてはいけない書類が多くて時間かかってる」
ということでした。何をそんなに書いているのかなあと思いましたが、とにかく待つしかありません。本人にヘルプを求められているわけではないんだし。
そして不安焦燥にかられた私は、決定的にまずいことをしてしまいました。自分自身の用事を済ませるために、福祉事務所の(身体障害担当の)窓口に一人で行く、ということです。
私は、昨日生活保護を申請した友人のように、杉並区と揉めたことのない人間ではありません。2007年、介護給付(ヘルパー派遣)を最初に申請した時に水際作戦に遭って以来、要注意・要警戒人物とされている可能性が高いです。そう見られている可能性がある以上、こちらも最大の注意と警戒を払わなくてはなりません。だからいつも、福祉事務所と接触するときは、場所が自分の住まいであれ福祉事務所であれ、弁護士や障害者運動家に同席してもらっています。相手は役所です。自分たちが過去にしたことを「正しい」とするために、なんでもやってくる可能性があります。役所性悪説に立ちたくはありませんが、昨日の翌日である今日は3月11日。災害の可能性には最大の警戒と最大の備えをすることは常識です。天災(の可能性)でなく人災(の可能性)というか自治体災(の可能性)というか、であっても同じこと。
自分自身の用事とは、介護給付を継続するための申請書に書類不備があったための修正と再提出でした。修正してほしいということだったんですが、どこをどう直せばいいのかよくわからなかったので、窓口で担当者に直接聞いてその場で修正しようと思ったんです。これ自体は別にまずくはなかったと思うんですが、その書類の修正中の会話、それから世間話めかしての会話で、私は一つ、明快なNoを言い忘れたんです。それから一つ、余計なことを言ってしまったんです。
私が現在受けている介護給付は、一ヶ月あたり約50時間です。これは1日あたりに必要な時間を一ヶ月31日分積み上げたものです。でも、現在までのところ最大で何時間使えたかなあ? 30時間程度かなあ? 私は、出張の多い月は、月の半分くらいは東京にいなかったりします。それに、土日を引き受けてもらえる介護事業所が未だ見つかっていませんので、土日は介護給付を使えていないのです。で、昨日、担当ワーカー氏に「使えていないけど、ゆとりの時間を希望するということですね?」と聞かれて、なんと答えたか忘れましたが、明快に「違います」と言わなかったんです。これがケース記録に「必要ないのに、ゆとりの時間を欲しがっている」と記録されたとしても、あまり不思議ではありません。これが、いい忘れた「明快なNo」です。
それから余計な一言とは。シカゴで佐村河内氏報道にまつわるもろもろを読んでいて腹を下した件。担当ワーカー氏が何と答えたか正確には記憶していませんが、「心因反応的なものになったんですね」というようなことを言われたんです。あああ、自分の愚か者! ニュースで下痢った話をしたうえに「心因反応」にNoを言わなかったとは!
最悪の可能性として私が2007年以来想定しているのは、杉並区が私の身体障害を「心因性のもの」「精神的なもの」としたがっている可能性です。身体障害者でなくして、ついで職業を維持していることをもって精神障害者でもなくして、すべての障害者福祉から私を切り離す。すると私は生きていけなくなる。かくして杉並区は、私に対して過去に行った不適切な対応を、私ごと消滅させることができる。めでたし、めでたし……。私自身には、ちっともめでたくない結末なんですけどね。
その最悪の可能性に結びつく言動を、昨日の私は二つもやらかしてしまいました。どうなるんでしょうか。
ちなみに昨晩は、喘息発作を起こしました。下痢→脱水→水分不足→喘息、という流れです。
「水分をしっかり撮ってリラックスして早寝すれば収まるだろう」
と見て、そのように対応しました。病院も救急車もイヤなんだもん。で、今朝は「ちょっと痰が絡み気味」程度に収まっております。しかし下痢は絶賛継続中。

●その二 

福祉事務所を出た友人と私は、西荻窪のデリカフェに入りました。ふたりとも申請お疲れさま夕食会、といったところです。お店のページへのリンクをわざわざ貼っておくのは、「二度と行かない!」という自分の決意表明と、以下に出てくる「階段」「構造物」などが実際にどのようであるのかを自ら確認したい方々の利便のためです。とはいえ、お店には全く恨みはなく、長年にわたって美味しいものを食べさせていただき、気持のよい時間を過ごさせていただいたことを感謝しています。でも、二度と行きません。お店に来る他のお客さんや、お店に出入りする時にお店の前を通りすがる人を選ぶことは、私には出来ないんですから。
そのデリカフェの入り口には数段の階段がありますが、すぐ横に、手すりとして私が利用することのできる構造物があります。もう何年も、日常的に利用しているデリカフェです。階段の下に車椅子を停めて、手すり代わりに構造物を利用しながら自分に可能な方法で階段を上り、ついでドア手すりを手がかりにしつつ入り……という一連の手順を数年前に開発し、大きな不自由なく利用できていました。過去何年にもわたり、不愉快な思いをしたことはありませんでした。
昨日は、佐村河内氏の事件が大騒ぎになってから初めて、そのデリカフェに入った日だった……と思います。その前に入ったのは1月だったかもしれません。2月中旬のアメリカ行きを控えて、1月下旬から出発直前まで「あれも、これも、片付けとかなきゃ!」とドタバタ。デリカフェで外食するだけの時間の余裕もなかったんじゃないかと思います。「思います」というのは、あまりにドタバタしてて良く覚えてないからです。で、帰国後は佐村河内事件+ネット民+田村厚労相の反応 で食欲が萎えてましたしね。それに階段の上にあるお店って、いくら入り口に手すりとして使えるものがあっても、なるべく利用したくないんですよ。いくら「方法はある」とはいっても階段の登り降り自体がしんどいし、転倒や転落のリスクはあるし。
昨日は、友人と私の腹具合・食べたいものなどを考慮して、久々にそのデリカフェに入ったのでした。でも、もう二度と行かないでしょう。階段がしんどい、階段自体がリスクである上に、昨日は多大な人的リスクまであることを思い知らされましたから。「食事する」のために、そんな危険をおかすことはありません。美味しいデリの数々が食べられるお店ではありますが、それらの危険と引き換えにして食べたいほどではありません。
友人と私が入った時、デリカフェの店内には他にお客さんはいませんでした。あとから、40代後半から50代前半と思われる、小太り・ショートカット・化粧気なし・陰険陰湿そうで頭の悪そうな女性が入ってきました。そして私たちをジロジロと見て、近くの席につきました。女性は席についても、こちらをチラチラ見ていました。
なんでそんなに見るのか不思議でした。「生活保護のくせに外食」とか言いたいんでしょうか? でも、友人の申請にまつわる話は、女性が来る前に
「まあ、申請はできたんだから、あとは待つっきゃないよ、2週間」
というふうに終えていました。女性が来たあとに話していたのは、ほぼ、各国の扶助・障害者福祉制度の比較にまつわる話です。日本で言われている「アメリカの福祉は……」があまりにも「つまみ食い」すぎる、という類の。
そうこうする間にも、私の腹は下り続けていました。というわけでトイレに立ちました。ゆっくり転倒しないように慎重に一歩一歩。そのようすを、女性がジロジロというかギロギロというか、という視線で見つめ続けていました。そこで気づきました。女性は、階段の下に停めてある車椅子の主が誰であるのか、その車椅子の主がいかに「明らかに車椅子が不要と思われる」かを気にしていたのでしょう。もしかすると、それを見届けることが目的で、わざわざお店に入って飲食物を注文したのかもしれません。女性が何を注文していたのか、食べていたのかどうかは知りませんが。
トイレの中で出すものを出して、しばらく呆然としました。いつものように、いつもと同じようにしていることなのに、大変なことになってしまった、と。私がこのデリカフェに来なかった1ヶ月強くらいの間に、佐村河内氏の事件があったわけです。それを考慮していなかった私は、決定的に深刻な事態を招いてしまったようです。
私はトイレから席に戻りたくなかったんですが、そういうわけにもいかないので、席に戻りました。やはり、その女性にジロジロギロギロ見られつつ。
ケタクソ悪いので、すぐにデリカフェを出ることにしました。立ち上がって二人分の支払いをし(なにしろ生活保護を申請するくらいだから、友人は深刻にお金がないんです)、ドアに向かいました。友人にドアをあけてもらい、入った時の逆で階段を降りようとして、店の中を見ると、女性がこちらを凝視しています。目は吊り上がり、なんだか怨念を感じるような視線でした。私はその女性を知りません。怨みを買うようなことをした覚えもありません。私は女性の方をじっと見ました。友人が私に気付き、私の視線の先にあるものにも気づきました。友人は
「あれが、みわさんがよくツイッターで怒ってた『ジロジロババア』なんだ」
と言いました。私は
「うん」
と答え、女性の方を見続けました。女性は目をそらしません。そこで私は女性に対して拳を突き出すような動作をしました。女性はそれでも目をそらしません。友人が
「相手にしないほうがいいですよ」
というので、それ以上の行動はやめました。友人がいなかったら、私はお店に取って返し、女性に
「何を見てるんですか!」
と大声を上げたかもしれません。そのデリカフェを出入り禁止になってもかまいません。お店のスタッフのせいではないとはいえ、そんなケタクソ悪い目に遭うお店にわざわざ出入りする必要はありません。入り口の何段かの階段がいけないんです。入り口の何段かの階段を、私が車椅子を使う障害者のくせに、なんとか登り降りする方法を見つけて登り降りしてしまっていたからいけないんです。佐村河内氏の事件の後でも、それまでと同じように登り降りしてしまったからいけないんです。自己責任、自己責任。
ちなみに過去、そのデリカフェに入る時、
「通りすがりのババアがわざわざ足を止めてマジマジ見ていた」
ということはありました。入った後で路上をふと見ると、
「通りすがりのババア3名ほどが、車椅子と私を指さしながら何かを話しているようす」
ということもありました。私の方は、
「見たきゃどうぞ、話のネタにしたかったらどうぞ、誰かに言いつけるなり噂を広めるなり、ああもう勝手にしやがれ!」
と思っていました。お店を出る時、そういう物見高いババアたちを
「見世物じゃないんですよ、何見てるんですか!」
と怒鳴って追い散らしたこともあります。でも昨日の出来事は、そういう「今までどおりの対応をする」という選択肢を私から全く失わせるほど強烈な体験でした。
友人と別れたあと、私は
「さっきの女性は、次にどういう行動を取るだろうか」
と考えをめぐらせました。杉並区にチクるのだろうか? ま、チクられても大した違いはないでしょう。そんな街中の行きずりの人よりも、私にはもっと恐れなくてはならない存在(参考)があります。「行きずりの人がチクった」が実際に起こってしまうとしても、大した問題ではありません。少しばかり問題であるとしても、2007年以来続いている杉並区との間の剣呑な状態が、もう少し剣呑になって継続するだけのことです。今までと大差ない気持ち悪い状況が続くだけでしょう。それとも、女性はラジオ番組や新聞への投書を行うのだろうか? 私は過去、荻上チキさんのラジオ番組に出していただいて
「見たところ、明らかに身体にどこも問題がないのに病院に来ている仮病の生活保護の人がいる」
という看護師さんの投書にコメントしたことがあります。それは大変不思議な投書でした。「明らかに身体にどこも問題がない」あるいは「仮病」であるかどうかは、カルテを確認すればすぐ分かるはずです。看護師が「カルテを見たら病気ではないと書いてあった」とバラすことには別の問題がありますが。「明らかに身体に問題がない」「仮病の」の根拠は「見たところ」です。いろんな可能性が考えられます。見た目で分からない病気や障害は、いくらでもあります。看護師だったら、そんなことは私よりも良くご存知でしょうに。そういう内容のコメントをした記憶があります。
こんどは、自分自身が
「歩けるのに車椅子に乗っている偽装障害者らしい人を西荻窪のデリカフェで見た、しかもそのデリカフェの入り口には階段がある。その偽装障害者は、スタスタと普通に歩いてトイレに行き、階段を健常者同様に登り降りしていた」
とかいう悪意たっぷりの自称「正義」による投書をされるんでしょうか? そのとき、かつての私のように
「その嫌疑の根拠、そういう嫌疑をかけること自体に問題がありませんか?」
というコメントをしてくれるコメンテーターがいればいいんですけど、そういうコメントが放送禁止になったりして。
あるいは、その女性が杉並区職員なのかも。職務に忠実に(皮肉)、適正化のため(皮肉)、正義のため(皮肉)、自腹を切ってそういう行動をしていたのかもしれません。あるいは私服警察官か。しかし尾行している私服警察官が、ああまで怪しい行動を取ることもないかと。
さて、13時を過ぎました。私は今日まだ、住まいから一歩も外に出ていません。ああいう健常者がウヨウヨしている街に出るなんて怖いです。銀行に行かなきゃいけない用事をはじめ、外に行かなきゃ片付かない用事があるし、もうすぐ確定申告だから税務署にも行かなくちゃいけないというのに!

3年前の東日本大震災が、大きな災害でなかったと言うつもりは全くありません。仙台にも石巻にも知り合いや友人がたくさんいましたし、従妹の一人は相馬で避難を強いられました。
でも私にとっては、3年前の東日本大震災より、日常のどこにでも潜んでいる脅威や落とし穴や罠、それらが近未来に強化される可能性の方が、ずっと深刻な「災害」です。

●補足1

「だから障害者手帳は定期更新制にすればいい。そうすれば嫌疑をかけられたときに障害者手帳を出せば済む話」
という意見がありそうです。
私の障害者手帳は、身体は更新なし、精神は2年ごとに更新されています。
身体の方は、2007年、1級(下肢2級+上肢3級)で申請したものが2級(下肢2級+上肢4級)に切り下げられる形でしたが手帳は取得できました。申請時と症状は変わりありません。杉並区の場合、肢体不自由の1級と2級では利用できる福祉サービスにあまり差がないので、「ま、いっか」と2級で妥協しました。しかしこれが3級になると、日常生活が事実上不可能になります。電動・手動とも、車椅子の交付は下肢の障害が2級であることが最低条件だからです。ちなみに2005年から2007年にかけての私は、障害はあれども身体障害者手帳はなく、一切の障害者福祉なしでしのいでいました。原理的に無理なことを続けるわけにはいかず、手帳を申請したのでしたが、その2年間、私がどんなふうに生きていたか想像することはできませんか? 障害ゆえに失う職業機会や収入機会がたくさんあり、補装具等の費用など出費は増えるわけです。しかも公認の障害者ではありませんから、障害者雇用の枠に入ることさえ出来ません。私自身、当時を思い返して「よく生きていられた」と思います。2匹の猫たちを守らなくてはならないということがなかったら、案外、あっさり自殺していたのではないかとも思います。障害者福祉が必要な人間に与えないこと、与えない可能性を高くすることのどこが「適正」なんでしょうか?
私は、身体障害者手帳の定期更新制の導入に反対します。定期更新制が導入されたら、更新のたびに、「どういう不利な扱いを受けるのか」「更新後はどうやって生きていけばいいのだろうか」と怯えなくてはならなくなるからです。そんな心配をしないで、自分のキャリアプラン、自分の将来計画を立てて、実現していきたいのに。「不利な扱いをされるのでは」「生きていけなくなるのでは」は、私の思い過ごしではありません。最初の手帳の申請時(2007年)に、級の切り下げに遭ってます。手帳が更新制の精神障害では、10年前から「適正化(自称)」による問題が多発しています。下の「補足2」をご覧ください。なんで佐村河内氏のような例外的な事例があるからといって、そうではない障害者が巻き添えを食わなくてはいけないんですか?
精神の方は症状も医師意見書の内容もほぼ変わらないのに、「3級→1級→2級」という不思議な動きをしています。理由はよくわかりません。理由は、私にも主治医にもなくても、たぶん東京都や杉並区にはあるんでしょう。
身体障害者手帳は更新なしですが、障害基礎年金では3年ごとに診断書を提出しての再判定が行われます。身体障害も精神障害も同様です。障害年金で「再判定なし」となる条件は、手帳よりずっと厳しいです。そこらへんにいる普通の障害者が「再判定なし」となる可能性は、まずありません。私も再判定を受けていますよ。
それでも、
「いや、2008年の北海道の偽装障害事件のときも障害年金が……」
とおっしゃいますか? 私の場合、障害年金の申請時に診断書を作成した医師と、再判定時に診断書を作成した医師は、別の地域の別の病院の別の医師なんですけど? しかも既に私が杉並区と揉めているので、偽装どころか、診断書を作成してくれるという医師、さらに、その診断書にことさらに不利な記述をしない医師を探すことにさえ苦労する状態なんですけど? 行政と当事者が揉めている場合、通常、医療は行政の味方です。ここは、強きを助け弱きを憎む、美しい日本(皮肉)なんですから。

……ここまで詳しく説明しても、言いがかりをつけたい人はつけるんでしょうね。はぁ。 

●補足2

最近、症状が変わらないのに手帳の級が切り下げられたり「手帳なし」になったといって悲鳴をあげている精神障害者が多いんですよ。公的な調査はありませんが、たとえばこちら。結果がどこかにまとめられているはずですが、URL見つけられず。
ちなみに、この調査が行われたのは2004年の話です。今はもっと大変なことになっています。
私は5人ほどの精神障害者の方に音声起こしなどの仕事をお願いしていますが、ここ3年ほど、その方々の手帳の更新や年金の更新のたびにオオゴトになっています。もともとの精神障害が悪化して、仕事をお願いできる状態ではなくなることもあります。「級が切り下げられたら」「年金なくなったら」という不安から仕事をやりたがって、でも不安焦燥感で仕事にならなかったりアウトプットの質が落ちたり。ときには「級が下がった(生活保護では障害加算に関連)」「手帳なしになった(生活保護では障害加算に関連)」「年金なくなった(生活保護を利用していない場合は収入ゼロに。一ヶ月あたり1万円程度の小遣い稼ぎ程度以上に働ける状態でもないのに、年金が切られるケースも)」で、さらに大変なことになったり。ここまで行くと、個人でケア出来る範囲ではありません。そこでソーシャルワークに力を入れている精神科医療機関につなぐことになるんですが、生活保護や自立支援医療を利用している場合、「転院する」を実現するまでが大変なんです。
5人が2年に1回(手帳)・3年に1回(年金)の再判定を受けているということは、ほぼ常時誰かが、「再判定前につき精神状態が……」「再判定の結果のせいで精神状態が……」ということです。自分も同じ問題を抱えています。
再判定がすべてを解決するかのように言う方々は、おそらく、再判定が10年前からどういうことになっているのか(症状や必要性を「適正」に反映したものではなくなり、むしろ過度に軽くなっている可能性の方が大きい)、その結果が日常生活や(限定されたものであるとはいえ)職業生活にどういう悪影響を及ぼしているのかまで考えているのでしょうか? 無責任に騒ぎ立てるのはやめてください!