「障害者が何で困っているのか」の具体的な内容、意外に知られていないなあと最近痛感しますので、少しずつ書いていこうと思います。
私は、現金の取り扱いで大変困っております。特に硬貨の取り扱いで。

私に運動障害が発生したのは2005年で、2007年に身体障害者手帳を取得しました。両上肢下肢とも「末梢に行くほど力が入りにくい」という問題がありました。それは現在も変わりません。
とはいえ、現在はそれほど大きく困ってはいません。補装具、介護給付(ヘルパー派遣)は
「とりあえず現在ただいま、大きく困っていることはない」
というレベルで受けられています。
しなくてはならないことは「他人様にお願いする」「代替手段を見つける」というような選択をするのでなければ、自分の身体に残っている機能、筋力の残っている部分を利用してなんとかするしかありません。しかし、時間が経てばその「なんとかする」も上手くなりますので、問題ではなくなっていきます。
現在も私の親指と人差し指の間の付け根部分は、「怪力」といっても支障のない筋力であろうと思います。健常者時代の握力は40kg以上ありました。愛用しているラボノート(厚さ1cm)やThinkPad(たぶん1.3kgくらい)をカバンから出し入れすることは、その「怪力」部分で大きな支障なく行えています。「怪力」というのは、自分の身体能力全般に比較しての話で、たぶん握力に換算して 5 kgw もないのではないかと思いますが。 
末梢の筋力や運動能力が落ちていったとき、一番イタかったのは筆記用具や画材の取り扱いでしたが、
「新しく使えない場所が増えたので数日慌てたが、そのうちに使える部分で自然に代替」
を繰り返しているうちに
「ま、なんとかなるもんじゃ」
と慌てなくなりました。
もともとバンドやってたり、いろんな楽器やってたりしましたからね。
「ステージで演奏中に弦が切れた」
の類のトラブルで演奏そのものができなくなるようなメンタリティ、とっくの昔になくしています。その延長で自然に障害に適応してきました。しかし、実はこれも頭痛の種なんです。
「そんなに悲嘆していないということは、本当は障害はウソなんだろう」
的な追及をされたことが、かなり前のことですけれども実際にありましたから。一度そういうことがあると、どうしても
「健常者はそういう見方をする可能性があるから警戒しないと」
と考えるようになってしまいます。

適応はしているとはいえ、「指のまったく先端を使って行うしかない動作をどうやって代替するか」は、現在も、いつも悩みの種です。 
たとえばサイフの中から小銭を出すこと。
「ThinkPadのトラックポイントは扱えるけど小銭をつまむのに苦労する」
という状況に「ツッコミたい」という方は、ThinkPadのトラックポイントは指一本の先端が数ミリ動けばできるということを充分に考慮していただけないでしょうか? でも指一本で小銭の出し入れをすることは無理ですよ。ついでに言うと私はマウスの扱いに大変苦労しますので、自分がパソコンの操作に使用するためのマウスは一個も持っていません。
私、お札の出し入れは、時間かかるけど出来るんです。 
小銭を「入れる」方も、比較的簡単です。掌に受けてサイフの中に流し込めばいいわけですから。
でも、出すときは指先を使って出すしかありません。それに
「今つまんだのが10円硬貨で、100円硬貨には指が届かないんだけど、100円硬貨の代わりに10円硬貨を出して」
というわけにもいきません。
ですから、ふだんは主にクレジットカード利用です。
現金を使うときは、充分な金額の硬貨があっても、お札を出してお釣りをもらうことが多くなります。レジの人がイラッとするのが怖いし、
「もしかしたらお金持ってないから、出すのに苦労しているふりをしているんじゃ?」
とか思われたら……と考えただけで怖くなります。
妄想だったらいいんですけど、特に佐村河内氏の件以後、
「車椅子に乗っていて見た目が障害者だから、疑念を持って見られているのでは?」
という恐怖が抜けません。ここまでいくと「健常者に対する偏見」レベルかもしれませんが。

まあ、そういうわけで、2014年2月以前以上に、サイフから小銭を出す機会が減っています。
クレジットカードも、リアル店舗でなるべく使わないようになりました。
「障害者がクレカを使っていた!」
と井戸端談義や居酒屋談義のネタにされたらかなわない、と思うんです。
「障害者の生活保護率は高い。たぶんあの障害者は生活保護だ。見た目が貧乏臭いし。生保だったらクレカは使ってはいけないはずだ、不正受給、不正受給」
と杉並区にタレこまれるんじゃないか、とも思います。私は今のところ生活保護を利用した経験がないので、タレこまれても困らないのではありますけれども。
もうここまで行くと、われながら「妄想!」だと思います。でも、怖いものは怖いし、不安なものは不安です。
日常のさまざまな経験は、
「健常者は何をするか分からない危険な存在であると警戒しなくてはならない」
と自分に刷り込んでいます。根拠なく言っているわけではなく、実際に危険な目にさんざん遭っているからです。
「相手が女性の障害者であったら、何をしてもいい(ただし自分が健常者社会で立場を失わない程度に)」
と考えているらしい健常者は、実際に存在します。
そして、実感ベースの話ではありますが、佐村河内氏の騒動以来、健常者側の
「相手が(女性の)障害者だから何をしてもいいんじゃないかなあ、やってもいいよね、やっちゃえ」
という行動選択の抑止力は、確実に減っていると感じます。
2014年以前、数日に一回程度だった不快なできごとは、現在は「外にいれば一日数回」という感じになっています。
昨日は実際に、怖くて住まいから一歩も出られませんでした。

話を現金の取り扱いに戻します。
レジの前でトロい行動をしたくない、さりとてクレカも使いたくないとなれば、どうなるか。
サイフの中が小銭だらけになります。
そして、しばらくすると、キログラム単位の小銭の取り扱いに苦慮することになるわけです。
分割して保管しておき、銀行に行くついでがあったらATMで預入するようにしています。
それにしても、一回二回では済みません。ATMで取り扱える硬貨は、たいていは一回あたり50枚程度までですから。
ATMコーナーが混み合っているときには出来ない作業です。

では、たとえば人気のないATMコーナーで
「大量の硬貨の預入」
といったことをしていたら、何が起こるか。
後ろから近づいてきた女性に
「お手伝いできることはありませんかあ」
と画面を覗きこまれたり、
「あなたそれ違うじゃないの」
と操作されたり通帳を取り上げられそうになったり、といったことが実際にあるんです。
混雑していないときのATMコーナーには、警備の方は常駐していないことが多いので、
「やめてください!」
「離れてください!」
と叫び続けるしかありません。ATMコーナーで携帯電話を操作することはできないし、そういう行動を取る余裕もありませんから。
すると相手は
「フン! キチガイ!」
などと言って離れていきます。

「だったら、窓口が開いている時間帯に窓口に行けばいいじゃないか」
とおっしゃいますか?
時間的な制約が健常者よりも厳しい障害者に? いくらフリーランサーといっても?

私は、どんなに反感を買っても、健常者に変わってもらわなくてはならないと思います。
健常者に
「障害者に怖がられたり避けられたり気持ち悪がられたり不快感を持たれたりしないように」
と努力してもらわなくてはならないと思っています。
障害者側は努力してきました。もうこれ以上の努力は出来ないところまで来ていると思います。
「共生社会」に堂々と反論するのでなければ、適応や努力を、健常者の側にもしてもらわなくては。
障害者だけが努力を強いられる状況は、それ自体が差別的状況です。