白血病との闘いを続けている京大大学院生・山口雄也さん(Twitter: @Yuya__Yamaguchi)のご著書、『「がんになって良かった」と言いたい』から抜き書きして、自分のメモを記すシリーズの4回目です。
私は Amazon Kindle 版を購入しましたが、紙の書籍もあります。
転生(2016.12.31)
その日は午後から大学に行った。(略)そこには何ら変わらぬ日常があった。僕は患者ではなくただの学生だった。あそこに行くと、いつでも患者をやめられるから、入院した今でもレポートは自分で出しに行っている。歩いて200m。
「その日」とは、19歳だった山口さんのがんが発見された日のことです。しかも予後がよくないがん。
患者ではない自分、患者になる前の自分が今も確かにいるということに、すがりつくような思い。
予後不良の病気になったことがなく、余命宣告されたこともない私が、「わかるような気がする」なんて簡単には言えません。それでも私は、なりたて障害者だった時期の自分を連想します。障害者でも病人でもない自分が維持されていることに、どれほど救われたでしょうか。その部分を維持することに、どれほど固執したことでしょうか。
患者や障害者になると、周囲は自分を「患者」「障害者」としか見なくなります。より正確に言えば、あらゆる人が「その人にとっての患者像」「その人にとっての障害者像」といったものを持っており、そこに現れた患者や障害者はその像の中に無理やり押し込まれていく感じになります。その場で「やめてください」と声を上げることはできます。ときには、やめてもらうこともできます。でも、その気持ち悪い状況の背景にあるのは、どうしようもないパワーバランスです。結局は、どうにもなりません。私自身、今もときどき耐えられなくなり、死ぬことだけが救いに見えたりします。
このことを念頭において、山口さんの続く述懐を読むと、「予後不良のがんを告知された若者が受けた衝撃」にとどまらない理解が可能になるかもしれません。
あの日を境に、僕の人生は変わってしまったのだ。大きな音を立てて、何もかもが。
がんの告知を受けるということは、がん患者界の人になるということです。そうではない自分もいるのに、周囲がそれを認めるとは限りません。「予後不良のがんを宣告された若者らしさ」といったものを勝手に押し付けてきたりする外野が、必ず現れるでしょう。
おそらく山口さんは、男性であり京大生であるということにより、外野の勝手な思い込みの押し付け(さらに、場合によっては「つけこむ」行為も)などから、言い換えれば目に見えない隔離収容施設から、若干は守られていたのだろうと思います。ご本人も、そんなものに足を取られていたいとは思わなかったことでしょう。それでも、記述のはしばしに若干は、そういった状況がなくはなかったことが現れます。「程度が軽かったのなら、羨ましい」なんて思いません。そんな状況は、誰にも現れてはならないものです。なくさなきゃ。でも、どうやって?
ともあれ山口さんは、苦悩と逡巡の末、たくさんの他者の助けを得て、自分の状況そのものの中に救いを見出します。
一昔まえにはほとんど治らなかった。今は半数もの人間が生存できる。そこに絶望する理由は全くない。
自分を、自分が救えるだけ救ってみよう。山口さんが到達したのは、そういう境地であったようです。
山口雄也さんを応援する方法
ご本人やご家族のために何かしたいというお気持ちを抱かれた方は、どうぞご無理ない形で応援をお願いします。
本記事を書いて推薦したくなった本
思い浮かべたのは、ナチの絶滅収容所という目に見える隔離収容施設から生き延びたV.フランクルの、「態度価値」という用語です。
どんな状況においても希望を見出そうとする人間の営みは、それだけで尊いものだと思います。